箭内さん!クリエイティブディレクターなのにチームづくりが苦手だったって本当ですか?

【前回コラム】「箭内さん!“0円”の仕事になんの意味があるんですか?」はこちら

—いま広告界では、戦略や表現に関する悩みもさることながら、それを実行していく組織・チームについて課題を持つ企業も少なくありません。今日は、箭内さん流・チームづくりについて伺いたいと思います。まず、「チームづくり」と言われて、どんな印象を持ちますか?

僕の自宅の玄関には、「一匹狼」と書かれた書が飾ってあるんです。それが象徴するように、「チームワーク」には、やや苦手意識があります。博報堂時代にも「ひとり博報堂」なんて言って、クリエイティブディレクターという肩書きでありながら、コピーも書くし、コンテも書くし、デザインもするし、タレントの出演交渉もするし、楽曲制作依頼もするし……で、一人で仕事をしている気になっていました。

いきがっていた部分もあるんでしょうけれど、「この広告は、俺がつくったんだ」と胸を張って言いたかったというのが一番大きいんです。それは、自分の仕事を過度に誇ったり、自慢したいということではなくて、「自分の責任はどこにあるのか」っていうことを明確にしたかった。失敗したら誰かのせいにして、成功したら自分の手柄する−大勢でやっていると、それがまかり通ってしまうことが往々にしてあるわけです。ほんの一部を担っただけで、さも自分一人で完成させたかのように「これ、俺の仕事です」と言ってしまう“アレオレ詐欺”(笑)が横行している。もちろん、一部でも関わったら自分の作品・仕事であるというのは間違ってはいないけど……それなら全部自分でやってしまえば、何かあったら自分が責任をとるしかなくなるし、それはすなわち、自分の思うようにできるということでもあるんじゃないかなと思ったんです。

元来の性格も災いしました。他の人に「合わせる」のが得意で、それはそのまま欠点でもあった。どんなアイデアも「いいね、いいね」と肯定してしまうものだから、チームの中でうまく仲間と高め合うことができなかったんです。後輩が出してきた案も、「本当にいいのかな…」なんて疑問に思いながらも、結局は採用してしまったり。そうならないためにも、自分一人でやるべきなのかな、と思っていました。

−あまり「チーム」には肯定的なイメージがないというか、前向きな気持ちをお持ちではなかったと…。

チームワークが苦手だったんだと思います。孤立してしまうというより、完全に周りに合わせてしまうので、「自分」が消えてしまうというか。とはいえ、これまでの経験の中で、結局は一人でものをつくることなんてできないと気づいていったし、人とつくるものの面白さを知っていったので、今では自分なりのチームのつくり方を実践するようになりました。“軍隊”みたいな形は、嫌なんですけどね。

 

次ページ 「箭内流・平和主義的チームづくり」へ続く

 

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箭内 道彦
箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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