箭内さん!クリエイティブディレクターなのにチームづくりが苦手だったって本当ですか?

箭内流・平和主義的チームづくり

—「周りに合わせてしまう」という、かつての苦手意識は、今ではもう無くなりましたか?

少しは残っていますが……僕が意見を言いやすいメンバーでチームを固めることで、克服しています。CMを一つ撮るにも、カメラマンや照明、美術、録音、編集といろいろなスタッフが関わりますが、メンバーはほとんど変わりません。社内外とも、誰かが欠けても成立しない、“レギュラーメンバー”のラインアップが組まれています。そこに少しずつ新しいメンバーを加えることで、できることの幅を広げているんです。

その人たちの才能を尊敬しているというのが大前提なのですが、長い年月をかけて僕の言語が通じるようになった人たちなので、やりやすくて。プロジェクトを進める中で、僕が急に当初言っていたのと違うことをやりたくなっても、諦めて付き合ってくれるんですよね。「この赤い壁、やっぱり黄色くしたい!」と撮影当日の朝に言ったとしても、「いいよ、いいよ」って言ってくれたり。「自分がいないと、この箭内道彦というリーダーは何もできないだろうな」と、みんなが思ってくれているんです。これは、一つチーム運営のコツと言えるのではないかと思います。

クリエイティブチームの、“レギュラーメンバー”で撮影した一枚。

「楽しいものは、楽しい撮影現場から生まれる」が信条。

また、他のクリエイティブディレクターや演出家がどうしているかは分からないのですが、クリエイティブチームにおいて、例えばカメラマンはチーフがいて、セカンドがいて、サードがいる。この全員とチームワークを築いていくというのも、僕がチームづくりにおいて大事にしているポイントの一つです。

若い頃、博報堂のメンバー4人くらいで演出家のところに行ったとき、一度も僕の目を見てくれず、リーダーとばかり話をしていたことがあったんですよ。寂しさと同時に、「くそ!俺もいつか一対一で仕事をできるようになってやる!!」と心から悔しく思って。だから、“イジり”みたいなものも含め、なるべく若い人から声をかけようと思っています。

これは、ミュージシャンから学んだことでもあるんです。例えば4人組バンドなら、ボーカル・ベース・ギター・ドラムがいますが、取材でも、それ以外の仕事の現場でも、やっぱり皆ボーカルを見るんですよね。僕が、そこのメンバー全員ときちんと向き合うことに気をつけていたら、ベースの人に「自分に対して、ボーカルと同じように接してくれたのは、箭内さんが初めてだ」と言われたことがあって。もちろん、そのベーシストは卑屈になっているわけではないし、ボーカルに遠慮をしているわけでもないんだけど、チームを動かしていく上で、そういう人たちの力ってやはり大きいものがある。どれだけ本気になってくれる人をつくるか、というのは大事だと思いますね。

—たしかに、“主要メンバー”として参加している人の多くはやる気があると思いますが、たくさんメンバーがいればいるほど、「自分がいる必要はあるのかな」と疑問を持つ人も出てくるような気がします。

どんな役割の人も同じですけど、その気にさせるというか。「自分がいないと、箭内さんは何もできないな」と全員に思ってもらうんです。それと同時に、プロとして結果を出し続けていくことが重要ですね。このチームでやってみたら良いものができたとか、完成したものを受け取った人が喜んでいる顔を一緒に見ることができたとか。そういう体験の共有は大事にしたい。あと、自分で言うのはなんですが、「この人(箭内さん)と一緒に仕事ができて嬉しい」という状況をつくることも、実は大事なことだと思うんです。「この人の発言は面白い」でも、「この人、昨日テレビに出ていた」でもいいんですけど、その人と今仕事をしているんだって、実家のお母さんに話したくなるような人でありたい。僕みたいに、部下の人をぶん殴ったりできない、“平和主義”なチームづくりしかできない人にとっては、そういう関係が必要なんじゃないかなと。

—クリエイティブディレクターには、ときにはチームを強引に引っ張っていくような、ある種の“横暴さ”も必要なのだと思っていましたが、必ずしもそうではないんですね。

「皆をぐいぐい引っ張っていく」みたいなことから、僕は逃げてしまうんですよね…。だから、メンバーには、そういう弱腰なところにつけ込まないでほしいなと思っているんですけど。

僕は昔から、「楽しいものは、楽しい撮影現場から生まれる」と強く思ってきました。誰かが泣いたり、怒号が飛び交ったりする撮影現場で、タレントさんの表情が良くなるはずがない。出演者もクライアントもつくり手も「今日の撮影、最高だったね!」と口を揃えて帰るような雰囲気が、驚異的に良いものを生むと思っているんです。それが、「ぐいぐい引っ張る」リーダーシップを発揮するクリエイティブディレクターに、唯一勝てる道なんじゃないかと。

以前、テレビで「泣いている人がいる現場で最高のものをつくるより、皆が笑っている現場でイマイチなものをつくるほうがいい」と言ったら、一部の人たちから「この人、最高のものをつくろうという気がないんだ」「イマイチでもいいんだ」って、そこだけを捉えられてしまったんですけど、僕にとっては「皆が笑っている現場から最高のものをつくる!」という意地から出た発言だったんです。チームって、そんなに単純なものではないとは思いますが、何とかこの形を成立させて続けていきたいなと思っています。

—アウトプットの質「だけ」ではなくて、プロセスも大事にしたいということですね。

撮影も含め、日々“思い出づくり”だと思っています。僕がつくるものにおいては、登場人物たちが放つ存在感や空気感も、重要な「企画」だと考えているので、それを壊したくない・大事にしたいという気持ちが大きいんです。あと、「一期一会」というと、なんだかおじいちゃんみたいと言われそうだけれど、出演者やスタッフの方たちと出会って一緒に過ごす貴重な時間を、人として大切にしたいなって……あまりに普通の発言で申し訳ないですけど(笑)。そうやってつくったら、すごいものができた!という成功体験に捉われているのかもしれない。

そういう現場づくりをするための努力は惜しまないんです。僕は「絶対にこれだ!」というTHE・リーダーシップが発揮できない代わりに、周りとのディスカッションを通じて、企画を練り上げていくことは大得意。そのために重要なのは、場づくりなんですよね。皆が笑ってものづくりができる場をつくらなければ!という思いは強いんです。

—「これだ!」と決して押し付けないけれど、そのゴールにたどり着くように、さりげなく、間接的に誘導する…それも、新しいリーダーシップの形なのかもしれませんね。

なんだか卑怯な手口に見えるかもしれませんね…(笑)そういうやり方をする上で、リーダーの素質として“チャーミングさ”が重要だと思うんですが、それが足りないリーダーが、いまは多い気がします。

 

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箭内 道彦
箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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