【前回】僕らはまだ、階段の途中。
《Vol.02》
阿部広太郎さん(コピーライター)
電通 ビジネス・クリエーション・センター 未来創造室
谷山クラス2期生
1986 年生まれ。2008 年に電通入社。人事を経て、コピーライターに。東京コピーライターズクラブ会員、30オトコを応援するプロジェクトチーム「THINK30」所属。世の中に一体感をつくる」という信念のもと、言葉を企画し、コピーを書き、人に会い、繋ぎ、仕事をつくる。言葉を味方に、大きな問題を発見して解く。「言葉の人」であり「行動の人」でありたい。「待っていても、はじまらない」の姿勢で今日も活動中。宣伝会議コピーライター養成講座「先輩コース」講師、BUKATSUDO講座「企画でメシを食っていく」モデレーターなど
《1章》
今ここで、変わろう、やろう。
—まず、阿部さんの経歴を教えてください。
新卒で電通に入社して、最初に配属されたのは人事局で、人材育成部という研修を担当する部署でした。
—人事をやっているころ、クリエイティブを志したとお聞きしましたが。
そうですね。僕が人事に配属された年から、学生に向けたインターンシップがはじまって、そのアテンドを担当させてもらったんです。学生たちは、すごい講師の方々から講義を受けて、目を輝かせていて。課題を与えられた彼らは、必死に考えて、コピーを書いて、企画して、プレゼンをするんです。僕はそれを後ろから、ビデオで撮影していました。
—その時、どんな感情でしたか?
「俺は何をしてるんだろう…」「そっち側に行きたい…」と、彼らを直視できなくなり、強く嫉妬している自分がいました。広告の仕事がしたくて広告会社に入ったのに、自分には独創性もないし、クリエイティブな仕事には縁がないと、挑戦することもなく勝手に決めつけていた自分が、情けなくなりました。
アメリカンフットボールをやっていていたので、その身体の大きさから、就職活動中も、社会人の方から「営業志望かな?」と聞かれて、「はい、営業です!」と流されるままに答えて。「クリエイティブ」は気になるけど、手の届かない世界の話だと自分で決めつけていたんです、チャレンジすることもなくです。それって情けないし、変われるとしたら、今このタイミングしかないと思いました。
—そこからクリエイティブへ、どうやって転局されたんですか?
当時、1年目の最後にクリエイティブ試験があって、その試験を突破した人が転局できるという制度があったんです。「今ここで、変わろう、やろう」と、インターンシップのあった夏に決心して、残りの4、5か月、仕事が終わった後も、土曜も日曜も、全力で勉強しました。それで、試験に受かって、2009年にコピーライターになれたんです。