吉岡さんが飛び入り参加した最初のライブで、お客さんがドン引き!?
水野:そうなんですよ。女子高の文化祭に遊びに行って、帰りにそこの女子高生を引き連れて、駅で路上ライブをやろうと。そのとき、一緒に遊びに行った中に兄の吉岡くんがいたんです。そこで「今度一緒に路上ライブやるんだろ?」という話になって、「今から呼ぼうか?」って電話で吉岡が呼んでくれて。それで、その場で飛び入り参加して、女子高生の前で3人ではじめて演奏したというのが結成ですね。
澤本:そのときの反響はどうだったんですか?
水野:女子高生はドン引きで。
中村:えっ!? そうなんだ・・・。
水野:一応、僕ら男子2人のファンというか、仲良くしていたから、「この女の子はなんなんだ?」みたいな空気になっちゃって。「あれは水野くんの彼女なんですか? 山下くんの彼女なんですか?」って(笑)。
中村:マンガ『BECK』みたいにそのときに電撃が走ったみたいな感じじゃないんですか?
水野:全然なかったです(笑)。
権八:面白い。もちろん当時はオリジナル曲を?
水野:いや、カバーだったと思います。オリジナルも1曲か2曲。ベストアルバムにも入っている『地球(ほし)』という曲があって、それは山下が書いた人生で2曲目ぐらいの曲なんですけど、それも当時やっていたかもしれないです。
権八:そういうふうにできたいきものががりですけど、水野さんはよく、みんなに影響を与えたい、自分がアクションを起こすことで、みんなのアクションに繋がったら的なこと言うじゃない?そういう意味で言うと、歌にちょっと政治的なメッセージが入ってきてもおかしくないという気もするんですけど、そういうのはどのようにお考えなんですか?
水野:それをわりと避けているという風にたぶん思われてるし、実際そうなんですけど(笑)。説明するのは難しくて。僕は詞の中に政治的なメッセージをそのまま文字として入れるということはたぶんしないと思いますね。
権八:ダイレクトにはね。
水野:でも、政治的ということは絶対に逃れられないじゃないですか。たとえば、僕が憧れている曲『上を向いて歩こう』は、ある意味、非常に政治的な曲だと思うんですね。人々の気持ちに影響力を与える。いつの間にか上を向いて歩くことが前向きなことかのようになっているじゃないですか。ある瞬間では、あの曲が政治的な曲として使われてもおかしくない。そういうことに使われる場面って曲はいくらでもあって、その危うさはいつでも持っていると思います。
つまり、モノを書くということは、政治的ということから離れられないと思うんですけど、だから逆に言うと、そこに書かないことのほうが強いんじゃないって気持ちもあるんです。僕らはよく人畜無害、毒にも薬にもなりませんって批判されて、それは甘んじて受け入れますが、一方でそれが一番危険なんじゃないか、何も影響力がないと思ってるのに、いつの間にか影響力を与えられているということが一番危険なんじゃないかと。
実は、その危険さに気づいてないんじゃないですか、と思うこともあるんです。だから、『ありがとう』も危険な曲だと思うし、『風が吹いている』も、もしかしたら危険な曲になるかもしれない。僕1人の人間は客観的な人間ではないじゃないですか。神の視点には立てないから。
僕だって投票もして、AとBという2人の政治家がいたら、どちらかを選びます。必ずそういう意志があるわけですよ。書いている人間はその意志が絶対に詞に含まれていると思うんですね。こんな感じでコミュニケーションがみなさんの中で行われてほしいみたいな気持ちがあると思うんです。それって政治的なことですよね。
権八:そうですよね。