今回の仕事人
今回たずねた仕事人は…マネーフォワード代表取締役社長CEO・辻庸介さん
マネーフォワードという集団に僕が魅せられているのは、とにかくストイックなこと。そして、社員の方々の人柄が素晴らしいこと。今回は、古くからの友人でもある社長の辻庸介さんにお時間をいただいて、仕事と生き方について、じっくりとお話をさせていただきました。
二人きりのCEO室で金融を学ぶ
渡辺:そもそも辻さんは、なぜ金融の道を志したんですか?
辻:農学部でバイオテクノロジーを学んでいたんですけど、先輩が大学進学塾を起業してそれを手伝っているうちに、ビジネスが面白いと感じてきて。それで、研究者の道ではなくビジネスの世界へ行こうと思ったんです。だけど、ソニーに入社して配属されたのは、ビジネスの現場から離れた経理部だったんです。
渡辺:ビジネスではなく、お金を扱うスペシャリストになった…。
辻:日々お金を扱っているうちに、あまりにお客さまのためになっていない金融サービスに憤りを感じ始めたんです。そんな時、マネックス証券創業者の松本大さんが、個人投資家にも機関投資家レベルの商品やサービスを提供するとおっしゃっているのを聞いて、これこそ当時の金融業界に最も必要なことだと感じたし、世の中が良くなることを直感して、マネックスの門を叩いたんです。
渡辺:マネックスに移ってすぐ、松本さんの薫陶を受けたのですか?
辻:そうですね。マネックス証券のCEO室に配属になったのですが、CEO室と言っても当初は上長の松本さんと私の二人きりだったので、本当に濃密な時間でしたね。鍛えられました。
渡辺:その後、マネックスFXに移られたんですよね?マネックスFXではどういう仕事をされたんですか?
辻:マーケティング部長です。新規顧客の獲得と既存顧客の活性というミッションがあって、FX業界の中でマネックスFXをどうブランディングするか。どうポジショニングするかを、潤平さんにご相談したんですよね。
渡辺:はい。そこで僕たちは知り合うんですけど、辻さんはその後すぐに留学しちゃった。
辻:会社に籍を置いたまま、2年ほどペンシルバニア大学ウォートン校へ社費留学をしました。MBAを取得して、戻ってきてからはマネックス証券のマーケティング部長とCOO補佐を務めました。
「サービスをつくる」ための起業
渡辺:起業しようと思ったのは、マネックス時代のどのステージでのことなのですか?
辻:じつは、起業しようと思ったことはないんですよね(笑)。もともとはマネックス内での新サービスを、松本さんに提案していたんです。ただ、リーマンショック直後で状況的に新規投資するべきタイミングではなく実現が難しかった。だったら、自分でサービスをつくってみようかと。
渡辺:起業するって、言ってみれば、マネックスの中で着実にステップアップしてきたことをゼロにすることじゃないですか?実際、すごくいいポストでお仕事もされていたわけですし。そこに対する「ためらい」みたいなものはなかったのですか?
辻:もちろん、ありましたよ。マネックスの仕事はすごく面白かったし、松本さんからもすごく信頼してもらっていました、たぶん(笑)。
渡辺:そのまま会社にとどまれば、マネックスというエネルギッシュな集団のど真ん中で活躍できるのに、辻さんはそれを捨てて新しいところに行くんだって、すごく驚いた記憶があるんです。
辻:アメリカへ留学していたとき、向こうの「サービスをつくる熱」がものすごくて、それが刺激になったのかも。ひとつのテクノロジーで多くの人の生活が変わっていくのを目の当たりにして、「サービスの力」に感動したんです。
渡辺:日本にいるより、アメリカのほうが刺激的だった?
辻:考える時間ができて、頭の中を整理できたのが良かったかもしれません。日本にいる時は、目の前の課題を解決するのに精一杯だったけど、一歩引いた目で自分と世の中の課題を考えた時に、今の延長線上で課題解決を考えるより、新しいサービスを立ち上げたほうが速いと気づくことができたんです。
渡辺:起業する覚悟を決めた、象徴的な出来事ってあったんですか?
辻:特にはなかったですね。徐々に気持ちが高まっていった感じです。アメリカから戻ってくる飛行機の中で、世界最高峰のビジネススクールの教育を受けたんだから、今はもうインプットはいらない。あとはどんどんアウトプットして、価値を生み出す側に回ろうと思ったんです。起業はあくまで、価値を生み出すための「手段」ですよね。
渡辺:起業したのが4年前、36歳の時。意外とまだ最近ですね(笑)。
辻:意外と最近なんですよ(笑)。最初の事務所は高田馬場。早稲田の学生が住むようなワンルームから始めましたから。
渡辺:最初は「自分に給料が払えない」って嘆いてましたもんね。
辻:とにかくお金がなくて、本当にどうしようかと思っていました(笑)。