物理的な距離が、気持ちの距離に比例する?
TVCMは、TVという媒体で、番組の合間に確保された決まった枠(秒数)で流れます。当然生活者は、これは広告だ、企業の宣伝だと認識して目にするわけです。だって、その枠はCMしか流れないんですから。このCM面白いんだよな、好きなんだよな、と意識的に見る場合もあれば、あえて見ない時もありますよね。CMが流れることに対してどう対応するか、選択の幅はあるものの、前提としては自然と流れてくるコンテンツを見るという受動的な視聴スタイルがとられるわけです。
物理的な視聴距離でいうと、少なくともTVから1~2メートルは離れて見ることがほとんどだと思います。また、TVの保有台数は、たいてい一家庭に1~2台なので、「みんなの所有物」と認識されており、自分にチャンネル権がないこともしばしば。ですから「TVはパブリックなもので、自分が望むコンテンツが常に流れているとは限らない」という認識が、自然と生まれているのだと思います
一方、HERO動画はオンライン上で公開されます。でもオンライン上にある動画は、企業がつくるコミュニケーション・コンテンツだけではありません。映画やアニメ、YouTuberや著名人によるオモシロ動画や感動秘話など、ありとあらゆるコンテンツと並列で提示されている中から、生活者は、自分の見たいものや好きなものを選んで見るという、能動的な視聴スタイルをとります。
また、オンライン動画の視聴は、今や、スマートフォンに代表される個人所有のモバイル機器からアクセスされることが主流になっているのですが、スマホって、自分の使うアプリだけを選んで、自由にカスタマイズできますよね。すると生活者は、「スマホは個人の所有物で、当然、自分の望むコンテンツで満たされている」という認識を、知らず知らず抱いていると思うのです。もちろん視聴距離は、TVに比べて格段に近い。せいぜい15センチといったところでしょうか。
とすると、生活者には、こんなことが起こり得るのではないでしょうか。
お茶の間でTVを見ている時、CMの枠で宣伝濃度が高いコンテンツが流れると、「まぁ、こういうものだよな」という感情が生まれ、それほど濃度が高くないコンテンツが流れると「あれ、ここでCMが流れるはずなのに、こんなエンターテインメントっぽいもの(面白いもの、驚くもの、泣けるもの、すごいもの、など)が流れるなんて、粋だな~」という感情が生まれる。
一方、好きなドラマやオモシロ動画などのエンターテインメントコンテンツを、布団の中で一人ゆったり見ようと思っている時、宣伝濃度が高すぎるコンテンツは、最初から選ぶ選択肢に入らない。むしろ自分が望んでいないコンテンツが、スマホ画面に提示されたりしたら、無粋だと感じたり、いら立ちすら感じるかもしれません。
つまり、自分と1~2メートルの距離があるTVよりも、自分に15センチと離れていないスマホで展開されるコンテンツのほうが、「自分のもの=自分好みでないとヤダ」という気持ちが強くなるのだと思います。
しかし、その分、スマホで見る動画に、自分の求めるエンターテインメント(面白い、驚く、泣ける、すごい、などの感情を刺激するもの)がたっぷり含まれていれば、宣伝濃度が多少あったとしても、“つい”見てしまったり、「これは自分好みである=好き」という気持ちが強くなりますよね。そもそも物理的に視聴距離が近いので、その分構えずにいられることで気持ちの距離も縮まりやすく、エンゲージメント率はTVで見るよりもスマホで見たほうが高まると思うんです。
エンゲージメント率が高まると、オンラインコンテンツはさらに有利です。オンライン上にあるので、人にシェアしたり、「いいね」したりなど、“言の葉”に乗せやすい環境が整っています。あるいは、他人の“言の葉”に乗って、自分に届いたコンテンツにアクセスしやすい状況にあるわけです。
つまり、オンラインで公開されるHERO動画は、生活者の意志にかかわらず自然と流れてくるPUSH型のTVCMよりも、生活者が能動的に見たいと思うような要素を持ったPULL型のコンテンツじゃないと、目にしてもらうことすら難しい。しかし、その要素を満たしていれば、ターゲット以外の多くの人の“言の葉“に乗り、ターゲットの背中を押す大きな力にもなり得る、というわけです。