「CMのプロ」が広告業界41年目にして今思うこと(ゲスト:黒須美彦さん)【前編】

初めてつくったCMは新宿ステーションビル

黒須:全然なかったんですけどね、これも入社前ですが、「入社前研修」というのがあって軽井沢の研修所に集められて、そこで川喜田二郎さんのKJ法という・・・。

権八:あー、整理するやつ。

黒須:カードに共通のテーマをいっぱい書くのかな。それをみんなで混ぜこぜにして、そのカードを貼りだしてやるという。

中村:マインドマップみたいな。思考整理法みたいなものと一緒ですよね。

黒須:それの元になってるやつ。その整理が非常に優れていたらしくて、そのときの研修所長がそれを見て、「お前はクリエイティブだ」と。突然。入社前でよくわからないんだけど、1人だけクリエイティブに内定したらしいです。そのKJ法のシートはそれから10年ぐらい、KJ法研修の見本として飾ってあったとか。KJ法の良さがクリエイティブの良さかわからないんだけど(笑)。

権八:KJ法はあまり詳しくないけど、いろいろなワードを整理する。

黒須:そう、コピーの元とか企画書のまとめとかにちょっと近いかもしれない。その流れで、ほめられたまんま、クリエイティブに入っちゃったので、すこしいい気になってたのかな。現場に入ってコピーを書いてたら、当時の有名CDの方に「お前の文章は女々しくて、最低だ」とか言われて(笑)けちょんけちょん。スタートはひどかったですね。

澤本:最初につくられたCMはどういうものだったんですか?

黒須:最初は「生コマやれ」と。それは本当に原稿を書くだけでした。フィルムCMの最初は新宿ステーションビル。今のルミネですかね。バーゲンのCMで、「駅の真上で夏の大バーゲン」というキャッチフレーズを書いて、駅長の帽子を被った女の子の上にトーテムポールのように人がいっぱいいるという愚直な絵も考えて。わー恥ずかしいCM。

権八:そうですか? ちょっと面白いですよね。

澤本:それはどうやって人が乗ってるんだろうね。

黒須:柱に椅子のようなものをつきだして。その前に座っているという。意味なくカメラが回転してたりして、結構恥ずかしいんですよ。でも、最初のCMはそれでしたね。

権八:シンガタに来られて、シンガタは電通グループなんですけど、博報堂とは文化というか、制作スタイルは違いましたか?

黒須:博報堂時代はわりとみんなでやるんですよ。プランナーが複数でやって、自分の企画に決まった人が主導してやるみたいな。電通だとCD1人にプランナー1人みたいなことですよね。プランナーひとりに託す感じ。

権八:確かにそうですね。プレイステーションは僕らの世代は圧倒されていて、すごいなと。当時あった広告批評を見ると、黒須さんがCDで、プランナーの数がいっぱいいて。

黒須:そうそう。企画を出した人はみんな名前を出すという。

権八:その頃、よく聞きましたけど、打ち合わせが長くて、みんながいっぺんに集まれないからちょっとずつ入れ替わり立ち代わりで、ずっと会議室をおさえてやってるみたいな。

中村:面談みたいですね(笑)。「次のチームの人どうぞー」みたいな。

権八:だから、どんどん打ち合わせ室に企画が溜まっていくみたいな。

黒須:それでパラパラと見て、いいと思う企画書の端を小さく折って、すごくいいと思う企画書を大きく折って。その紙を置いて、僕は一回退室。遊びに行っちゃうんです。

権八:そうですよね。デートなどに。

黒須:いやいや、そういうことはないんですけど(笑)。

中村:遊びに行っちゃうんですか!?

次ページ 「「CD」という職種の人はどのように仕事をしているのか? 」へ続く

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