箭内さん!いったい、どこで洋服を買っているんですか?

—箭内さんの自己ブランディングの考えは、CMづくりにも影響しましたか?

つくるものについても、相手が自分を把握しやすいようにすることを意識していましたね。僕は、人をくくったり、レッテルを張ることは嫌いだけど、自分は一旦、周りにそういう扱いをしてもらわないと、前に行けないと思ったんです。博報堂入社10年くらいまでは、とにかく「異和感」をテーマに、「アンチ」を掲げて、番組とCMの境目を曖昧にしたり、局考査にひっかかるギリギリのことばかりをやり続けていました。

そういうことを何年間もやっていたから、テレビ局の担当の方にも覚えられて、考査担当の方々には「またこれ、博報堂のあいつがつくったのか」と言われるようになって、さらに厳しくチェックされるようになっていました。考査に引っかかって戻ってくると、「あ、俺、やれてるな。挑んでるな」って、生きてる実感を感じたり(笑)。

営業担当からは「OKが出る範囲内で良いものを考えるのがアイデアなんじゃないの?」と言われるたびに、「うるせー」って言い返してましたね。今思えば、至極真っ当なことを言われているんですけど(笑)。
 
あともう一つは、タワーレコードやLArc-en-Ciel、Dreams Come Trueの仕事を多く手がけているうちに、「博報堂の制作に、箭内っていう音楽好きがいるらしい」「音楽に関わる仕事があったら、箭内に頼むと人脈も含めてうまくいくらしい」っていう評判が小さいながらも出来てきて、それでまた音楽関連の仕事と人脈が増えていった。

L’Arc〜en〜Ciel 「ark」「ray」スポットCM 「正式名称」篇(1999年)

博報堂で音楽関連の仕事があれば、「箭内に頼めばいいんじゃないか」って言ってもらえるような空気をつくっていきました。それも自己ブランディングの一つですね。逆に、「この仕事はなんか違うかも」って感じたら、会議中にトイレに立ってそのまま戻りませんでしたね。一つのプロジェクトにたくさんの人が関わっているので、自分一人くらいいなくなってもいいだろうと(笑)。ひどい話です。

—やりたい仕事、「箭内道彦」として世に出す仕事を意識して選んでいたということですか?

選び始めていたと思います。自分の上に何人か先輩がいる仕事は、「これは自分がやってもしょうがないな」と身を引いていました。かなり嫌なやつだったと思いますよ。それを繰り返すうちに、先輩たちも「そんなに嫌ならやらなくていい」「あいつには頼まない」ってなっていって、孤立していった。その頃には、博報堂の中では僕が誰かと一緒にやる仕事っていうのはもうなくなって、一人でやるようになり、自分では「ひとり博報堂」って言っていました。

博報堂在籍時代の最後の頃は、上司も部下もいなくて、窓際のブースに僕が一人ポツンといるような状況でした。良く言えば、局付CDだったんですが(笑)。

—箭内さんのやり方は、多少極端であるにしても(笑)、自己ブランディングをすると、どういうメリットがあると思いますか?

自分が規定されることによって、規定されたものが突出していくっていうことがありますね。僕はもともと数学が得意だったのですが、ある日、「自分は文系だ」と決めて文系を選択したら、文系科目のテストの点数がバーンと良くなって、理数系の点数が一気に悪くなったんです。規定されることによって特徴が生まれる。逆にデメリットを生む恐れもありますけどね。

—ともすると、嫌なヤツになりかねないと思うんですが、うまくやるコツってあるんでしょうか。

いや、100パーセント、嫌なヤツですよ。僕は、よく「転勤したときが、カツラデビューのタイミング」だと言っているんですが、そういう節目は自己ブランディングを始めるチャンスです。または、「だんだん増毛していく」っていうパターンもありますね。徐々に始めていって1年後には全然違う人になっているっていう。

フェードインとカットイン、どちらの方法もあると思います。カットインは、覚悟を決めている感じが出るぶん、周りは逆に何もツッコめない。

一番大事なのは、自分自身がひるまないということです。「あいつ、あんなヤツじゃなかったのにな」と言われることにグラつかない。「金髪ですが、何か?」と。

もう一つ言えるのは、自分のブランディングができない人には、人のブランディングは絶対にできないということ。 スタイリストに仕事を頼むとき、ダサい格好をしているスタイリストには頼みませんよね。それと同じで、特に、僕らの仕事は、ひたすら「人のことをやる(人の悩みを解決する、人の長所をアピールする)」という差し出がましい仕事ですから、なおさらですよね。自分をブランディングすることって、訓練にもなるんです。

自分に対して実験したことを、今度は仕事の相手に対して使っていける。なるべき自分・なりたい自分と、それが人からどう見えているか–結局、その鍛錬なんですよね。

僕は、「人からどう見られたいか」を幼稚園くらいのときから意識していて、そのことが自分にとって、とてつもないコンプレックスでした。そんなことを思うのは、恥ずかしいことだと思っていた。そんなもの関係なく生きていきたいと何度も思ったけど、人に「箭内くん、いい人だね」「やさしいね」「面白いね」と言われたくて、結局そのための行動しかしてこなかったんです。

他人にそう思ってもらうことで、初めて自分が救われるというか、そこに喜びを感じていました。実家が商売をやっていたということも影響していると思います。お客さまにどんなサービスしたら喜んでもらえるかを考えることが、スタート地点なので。

本当の自分を表に出さないから、小学校から大学まで、とにかく友だちができにくかった。それまで、すごく疲れるなと思って暮らしてきたけれど、会社に入って10年目くらいのときに、自分がそれまで恥ずかしいと思っていた考えは、「ブランディング」であること、「企業が人に好かれるためにどうしたらいいか」を考える仕事であり、お金になることだったんだと気がついてからは、この仕事が天職だと思えるようになりました。

恥ずかしい自分やコンプレックスを抱いている部分で仕事をできると知ったときの喜びは計り知れないものでしたね。だって「自分が皆に好かれるために」と考えるのってカッコ悪いけど、例えば、「タワーレコードが皆に好かれるために」って考えることは悪いことじゃない。それどころか、仕事になる。その気づきは、非常に大きかったです。

例えば、今までしていなかった色のネクタイをしてみるだけで、自分の気持ちが高揚してきたり、周りがそのことを興味深く感じたり、話しかけてきたりすることもあると思います。いつもよりも小さい声で喋るっていうのもいいかもしれませんね。そんなささやかなことから、自己ブランディングを始めてみてもいいかもしれません。

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箭内さんのシューズコレクション。
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箭内 道彦
箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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