【前回コラム】「森永乳業 寺田文明×磯部光毅「広告主の課題意識は、広告戦略からコミュニケーション戦略へ」」はこちら
砂漠の真ん中で水を売るのに適した戦略は?
寄藤:今回、装丁を担当させていただいたんですけれども、一人の読者として、とても勉強になりました。磯部さんはコミュニケーション戦略の発展の歴史を「7層構造のミルフィーユ」に例えて説明されていますよね。ポジショニングから始まって、ブランド、アカウントプランニング、ダイレクト、IMC、エンゲージメント、クチコミと進んでいくプロセスがすごく整理されて感じました。
僕は、最初に原稿を読んだとき「この順番、逆じゃないのかな」と思ったんですよ。普通に生活していたらクチコミが最初ですよね。例えば友人と「ちょっとバンドやろうぜ」という話になったとします。ライブをするからお客さんを呼ばなきゃ、と最初は友達に声をかける。それでも足りないと母ちゃんにもチラシを配ってもらって、しまいには強面のヤンキーが手売りするみたいな。ポジショニングができるようになるのは、相当売れっ子バンドになってからじゃないかと思うんです。それが逆順で進化してきたっていうことが不思議でしたね。
磯部:おっしゃる通りですね。通常のコミュニケーションを考えれば、むしろこのミルフィーユは上下逆さまですよね。クチコミで広めて、エンゲージメントでファンをつくってという順になりますよね。なぜポジショニングが一番はじめにあるかと言えば、マーケティングコミュニケーションの歴史は、マスメディアの発達と同時並行で進んでいるからなんです。ポジショニング論は、1950年代以降まさにテレビを中心としたマスメディアが伝達手段として浸透し、各社の競争が生まれた時代だからこそ、生まれた理論と言えます。
このミルフィーユの図ではダイレクト論は90年代に登場させているんですが、実はダイレクト論の本当の始まりはもっと前、1940年代なんです。それこそ最初はチラシやDMなどから始まったわけです。なぜこの図では90年代にしたかというと、ダイレクト論が本当の意味で機能しはじめるのは、大量のデータが収集でき、それをITで分析できるようになったこの時代からだと判断からです。
こういう反応をしたお客さんには、こういうチラシを送るという風に、細かくデータを元に出し分けられるようになって、ダイレクトは飛躍的に伸びたんです。
寄藤:ヤンキーがものすごいコンピューターを持っていて、あいつにはチラシ配っても意味ないよとわかるようになっていったということですかね。
磯部:そうですね(笑)。一つ、なぜコミュニケーションに戦略が必要になってきたかの例え話をしていいですか。寄藤さんが砂漠の真ん中で唯一井戸を持っている水売りだとします。そうしたら儲かって、ウハウハですよね?
寄藤:暗幕で囲って絶対外から見えないようにしますね(笑)。
磯部:その水売りは必ず商売がうまくいくんです。戦略的に言うと3つ理由があります。まず ①絶対的なニーズがある。②競合がいない。見渡す限り砂漠ですから。そして③情報の非対称性がある。お客さんは、何キロ先に行ったらオアシスがあるかを知らない。そうすると戦略はいりません。寄藤水売り店は「水あります」と書くだけでいいんです。
ところが、その3つの要素の何かがくずれたとします。強いニーズがなくなってきた、競合がたくさんん出てきた、お客さんが物知りになって「ちょっと先に、もっと安く売ってるじゃない」など、情報の非対称性がなくなってきた。そういう状況が同時に起こってくると、初めて戦略が必要になるわけです。それがポジショニング論などの戦略が生まれてきた1950年、60年代の状況です。「あっちが安いけど、こっちの方がおいしいよ」「こっちの水の方がきれいだよ」などと言って違いを伝えていく必要がでてきたわけです。
寄藤:いまのお話、デザインの系譜にも置きかえられるかもしれないと思いました。デザインは、いろいろな商品なりサービスのポジションをコントロールしたり、差別化をはかるために発達した側面がありますね。装丁の仕事でいえば、店頭に白い本が多い時期には、赤い本を作ると、単純に目立つんですよ。でも、目立つからってその本が売れるわけでもないですよね。同じ「目立つ」でも高い品質の「目立つ」が必要になってきた感じがします。ブランドというのは、そういうことの一歩先の話ですね。デザインは、今やっとそういう話に具体とか意識が追いついてきている状況なのかなと思います。
磯部:デザインはようやくそこ、というのは意外ですね。
寄藤:情報が手に入りやすくなったことで、差別化とかポジショニングって、その時々の置かれている場所とか状況とかから離れて、もっと情報空間みたいなところで行われるようになった感じがあります。これまではCIなどのアイコンに、そのブランドのイメージや記憶を積み重ねて伝えてメモリーを作っていく方法がもっぱらでしたけど、情報空間でのポジショニングがはっきりしていればCIとかアイコンとか、そういうものの造形はどうでもいいというか。そのあたりのバランスが、ようやく整理されてきているところだと思います。
磯部:「ブランド論」の話になってきましたね。ブランドに関する論争としては、「言語で規定できるかできないか」という問題があります。ちょうど僕が博報堂に1997年に入ってから10年ぐらいは、ブランドを言語で規定しようという時代でした。でも世界中でそれが行き過ぎてルールを守ることそのものが大切だという風潮になってしまった。ブランドの価値規定やブランドのパーソナリティ規定をやりすぎることで自由度がなくなってしまって、世界中でブランドの魅力低下を招いてしまった。そこでやっぱり言語規定って限界があるよね、という話になったんです。
寄藤:アイコンを言語に置き換えても、同じ記号をスタンプするという基本的な発想は同じですよね。
磯部:ブランドを言語だけで規定するのは無理があるけど、じゃあ、どうやってブランドを管理していこうかという中で、いくつかの方向性が考え出されました。1つはビジュアルなどを用いて言語以外のもので規定しようという方向性。もう1つは、ある1人のクリエイティブディレクターに決定権を持たせて決めちゃうという方向性もありました。例えば寄藤さんが全部決める。寄藤さんがいいと言えばオッケーみたいなことです。もう1つは非言語のカルチャーで規定しようっていう方向性もあって。
寄藤:カルチャーまでいくとすごいですね。
磯部:例えば僕は欧米の某高級ジュエリーブランドを10年間ぐらい担当していたんですが、そのブランドは言語による価値規定はないんです。でもNYのそのブランドの本社にずっと通っていると、「うまく説明できないけど、このビジュアルはOKだけど、これはNGだ」というのが身体的に感じられるようになるんです。それはモデルの顔の角度とか…そういうのを含めてなんですよね。クリエイターじゃなくてもわかるんです。カルチャーが社内でも共有されているし、僕たちのような外部のパートナーもそのカルチャーを感覚的に共有することでブランディングしているんです。