渋谷という街からローカルとグローバルを結ぶBunkamura

海外進出から一転、渋谷の再開発へ

吉良:渋谷といえばBunkamura、という印象が強いのですが、「渋谷という場所」とBunkamuraの相互関係については、どのようにお考えですか。

西村: 22年前の1994年から渋谷・コクーン歌舞伎※を始めて、今年6月には、15回目となる公演を開催しました。2009年の記念すべき10回目の開催時には、109からBunkamuraに続く文化村通りを歩行者天国にして、その出演者たちでお練りを行いました。商店街の人たちと、一緒になって渋谷の街を盛り上げようと企画したイベントです。
※Bunkamuraシアターコクーンで行われる歌舞伎の公演。古典演目を新たな演出で上演している。

吉良:街とBunkamuraが共存している感じがいいですね。

西村:私たちの創るコンテンツが徐々に街へ「染み出ていく」というようなイメージを持っています。今年から東急シアターオーブでは、『ブロードウェイ クリスマス・ワンダーランド』というクリスマスショーが始まります。アメリカでは1933年に初演して以来、80年以上にわたって冬のNYの名物になっている「ラジオシティ・クリスマス・スペクタキュラー」などがあります。将来的には、渋谷の冬もクリスマス・ワンダーランド一色にして盛り上げていきたいですね。

宣伝会議 取締役 メディア・情報統括 田中里沙

田中:東急グループにとって、渋谷とはどのような存在だったのでしょうか。

西村:実は東急グループにおいて、渋谷に資源を集中する方針はありませんでした。当初は海外進出に軸足を置いていたためです。その後、2000年頃にいろいろな見直しの中で海外事業から撤退し、渋谷や二子玉川を再開発していくという意志を明確に固めた経緯があります。

次ページ 「世界から見たら東京はローカル、ローカルメディアこそインバウンド戦略の要」へ続く

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