映画監督と広告人による、超アナログ的な制作の秘密「ふたりは なかよし」(後編)

【前回】「映画監督と広告人による、超アナログ的な制作の秘密「ふたりは なかよし」(前編)」はこちら

「桐島、部活やめるってよ」「紙の月」など、続々とヒット作を生み出している映画監督の吉田大八さんと、電通の田島恵司さんは 20年来の友人関係。サッカーの試合の対戦相手として出会い、その後、ディレクターとCMプランナーとしてタッグを組み、数多くの CMを生み出してきました。時代が大きく変化する中で、二人の関係はどう変わっていったのか? または、どうして変わらずにいられたのか? 映画と広告の制作の現場はどのように違うのか? このデジタル時代にアイデアをいかに創り出していったか? さまざまな仕事の現場で乗り越えてきたこと、長い関係の中で熟成された仕事術、制作術について率直に語り合った対談の後編です。

いよいよ映画の話へ

田島:そろそろ映画の話を聞きたいのですが、桐島、部活やめるってよ」はどういう経緯で監督をすることになったんですか。

吉田大八さん

吉田:「桐島~」の前作の「パーマネント野ばら」を見たプロデューサーが原作を持ってきてくれたんです。「桐島~」は単行本の装丁を見ただけで高校生の青春の話だと想像がついたので、自分には縁遠いだろうなと思って、どうやって断ろうかと考えながら原作を読み始めました。

そうしたら、CM制作とまったく同じなのですが、自分の中でここからだったら切り込めるという糸口が見つかった。そうなると、それを試してみたくなるんですよね。原作に東出昌大くんが演じる「宏樹」と神木隆之介くんが演じる「前田」が一瞬だけすれ違う場面があるんですよ。その場面がすごく好きになってしまい、そこをゴールにして、そこまでどう運んでいくかを組み立ててみようと思ったんです。そうしていくと、原作とは大きく変わるところが出てきましたが、結果的にはそれがうまくいきました。

田島:青春時代はみんな経験しているからこそ、外すと怖いですよね。

吉田:そうでしょうね。クラスに50人生徒がいれば、50人分の青春があるわけですからね。青春映画の多くは、すごくかわいい女子とちょっとドジな女子、かっこいい男子というように、割と限られたところで切り取られます。「桐島~」の原作のように、この映画ではできるだけいろんな立場の子たちのアングルが存在し得ることを表現したいと思いましたね。

田島恵司さん

田島:「桐島~」は屋上でのクライマックスが印象的でしたが、ああいうクライマックスは計算してつくっていくものですか。

吉田:脚本を書いていく中で、割と早い時期に決めました。本物っぽいゾンビを最後に出すとか、原作に全くないこともどんどん思いついていきました。

映画の原作はCMでいう企画だと思うんです。その企画の中にあるスピリットさえしっかりつかんでいれば、表現が変わってもブレないから大丈夫。これまでいくつか映画をつくってきて、脚色が原作を大胆に変えているところもあったけれど、私は原作者との関係はすごくいいです。それはやはり、原作者のスピリットの上に脚色していることをある程度評価してもらっているということだと思います。

田島:映画づくりにおいて、CMから学んだことはありますか?

吉田:CM制作では企画コンテに対して演出コンテでどれだけ驚かせるかということを20年以上やってきましたが、演出することで完全に企画が違うものになってしまうと受け入れてもらえにくい。そのため、微細なところまでこだわる訓練をしてきました。だから、CM制作を通じて、ここは外したり足したりしても大丈夫だなというポイントを見極められるようになりましたね。それが自分の映画監督としての強みのひとつかなと思っています。

田島:大八さんは、「『桐島~』は、もう自分の手を離れた。それはいいことだ」という発言をされていましたね。

吉田:映画「桐島~」を見た人がどんどん原作を読み始めています。自分がどういうつもりで映画をつくったかということよりも、それをみんながどう見たかという“思いの総量”の方がはるかに大きくなった。こうなると、もう私が手出しすることはできませんね。

田島:「桐島~」の次に公開した「紙の月」は衝撃的な映画でした。主人公で横領をする女子行員に宮沢りえさんを起用することは最初から決めていたんですか。

吉田:いいえ。脚本が固まってきたときに、プロデューサーが何人か候補を挙げてくれました。その中で、宮沢りえさんは主人公の梅澤梨花から一番遠い感じがしましたが、いい意味でも悪い意味でも一番予想がつかないなと感じました。そういう意味では博打でしたけど、何となく賭けてみようかなという感じで声をかけました。

田島:僕は原作を読んでから映画を見たので、主人公に宮沢りえさんを起用したことにびっくりしました。原作では主人公の梨花が若い男にちょっとずつ心引かれていくところに時間をかけているけど、映画ではそこは短くて、他の部分を広げていましたよね。

吉田:僕は梨花が銀行の金を横領して逃げた後のことに興味があったんです。だから最初はプロデューサーに、映画の半分ぐらいは逃げて、逃げて、逃げる脚本にしたいと話しました。その案は脚本を進めていくうちにクールダウンしましたけど(笑)。

この話は主人公である梅澤梨花の破滅の話ですから、肯定的には描かない。だとしても、彼女の中ではある瞬間吹っ切れることで、スッキリしたんじゃないかなと思ったんです。それで「さわやかな破滅」というキーワードを立てて、それを脚本家やプロデューサーに伝えて進めていきました。

田島:意図的に、破滅していくところを多くしたわけですね。

吉田:梨花と大学生の男との間に関係ができるという破滅のプロセスは、男と女だから目があった次の瞬間そういう関係になっていたとしても分かるよねというつもりで短くしました。映画を見た人のレビューでは「なぜあの二人がそうなったのか分かりにくかった」と厳しく指摘されましたが、それは確信があってのことです。

田島:小林聡美さん演じる同僚の隅より子が主人公に「でもあんたは好きなことができたじゃない」と言うのがすごく印象に残りました。

吉田:あの役は原作にはありません。原作はいろんな人物のモノローグで主人公である梨花のことを外から見せたりできます。映画では、観客の思いが登場人物の誰かに投じられるようにしたいと考えていたため、自然に出てきたのが、観客と同じ視点を持つ「隅より子」でした。

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