能と3D映像を掛け合わせた『幽玄』はなぜ生まれた?
中村:亜門さんは演出家としての根源や感動する根っこの部分を大事にしてらっしゃるというインタビューをよく見るんですけど、「どのへんに琴線が引っ掛かるのか」をもっと知りたくて。今度ちょうどやられるじゃないですか。
宮本:シンガポールで公演する、能と3D映像の『幽玄』ですね。
中村:ネットでお客さんがみんな能面みたいな3D眼鏡付きの面をかぶっている写真を見ました。みんなで体験する3Dと能が渾然一体となった舞台だという。10月28日からはじまるということですが、こういうのを「面白いから、よしやろう」と思ったのはなぜなんでしょう。亜門さんなりの感動した部分、琴線に触れた部分があったんですか。
宮本:今はテクノロジーがどんどん進んでるじゃないですか。僕はそれに大賛成で、自分も色々なものを見たり、体験したりするようにしていて。基本的に性格が子どもなので、興味を持ってあちこちに行くんですね。それでもし、僕ができることがあるとしたら、ライブの人間と絡みあうことだなと。映像で非人間を撮るのもいいけど、ライブの人間の絡みの面白さが何かあるんじゃないかと。
掛け算になっていかないかなと思って。そんなときに「シンガポールでプロジェクションマッピングと能をやってくれ」と言われたんです。でも、それはちょっとわかりやすすぎないかと思っていて。後ろの建物に映すというよりは、能は目に見えない、死んだ世界だから。物語も、お坊さんが来て、急に亡霊が現れて、「私はこういう過去でした」と話したことで成仏できるみたいな話が多いので、自然の雪や靄のように、本当は目に見えない気で感じるようなものとか表現できるんじゃないかと。
あとは自然の中で主人公たちを包み込むような不思議な独特の感覚。何が現実で、何が現実じゃないんだろうかと。目に見えない、ある意味では微かなおぼろげなものをあえて見せていく。それが面白いと思ったことが3Dをやりたいと考えた理由ですね。能はあまりにも歴史が古くて、世界最古の演劇なので、これと違う世界をぶつけてみたいなと。毎回大変ですけどね、新しいことをやるのは。能楽師の方は「なんじゃこりゃー!」って顔してましたよ。
一同:笑
澤本:日本の伝統文化の方と一緒にやられてますよね。
宮本:大好きなんです。お茶が好きで、やってたんですけど、厳しく誰かに教わってことはなくて。子どものときから、日舞だ、なんだと、全部顔を突っ込んでいったんですよ。ただただ興味があって、「なんでお茶室はこんなに小っちゃいの」って、子どものようにワクワクして今まで育ってきたので、基本的に怖さを感じずに最初はきっと楽しかっただろうなって。ちなみに、能は世阿弥がつくったときは、今の能の倍ぐらい早かったんですよ。
澤本:スピードが?
宮本:そう、2倍速かった。
中村:それ楽しそうですね。
宮本:実はオペラもほとんどそう。最初にモーツアルトの歌ができたときも、もっとテンポは早かったと。変に伝統っていって丁寧につくろうとしたら、遅くなっちゃったと。最初はもっと生々しくて、面白いというかね。今も面白いんだけど、捉え方は違ったみたい。