引きこもっていた高校2年生の頃は、想像力を持て余して苦しかった(ゲスト:宮本亜門さん)【後編】

【前回コラム】「神様が「そんなに感謝されても困る」と思うほど、感謝して生きている(ゲスト:宮本亜門さん)【前編】」はこちら

新橋演舞場の向かいにある喫茶店で生まれ育った宮本亜門さん。昔から芝居や舞台に身近に接していたが、「演出家」の道へ進んだ理由は、それだけではなかった?

今回の登場人物紹介

※本記事は10月8日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。

新橋芸者が好きな子どもだった

澤本:亜門さんは古い演劇から新しい演劇まで全部知っていて詳しいから、どういう子ども時代だったのか聞いてみたら、生まれたのが新橋演舞場のそばだったと。

宮本:そうですね。向かいの喫茶店のほうです。

権八:今もありますよね。あそこですか!?

宮本:そうです。一応、病院では生まれたんだけど(笑)。今も90歳の親父がときどき店に出てますが、あの場所だったんです。

澤本:本当に演劇の中心というか、目の前でずっと伝統演劇をやっているところで。

中村:小さい頃から、ふらっと隣の新橋演舞場に入れたんですか?

宮本:うちのお袋が松竹歌劇団のダンサーだったんですよ。母は舞台への思いが強くて、教育ママじゃないけど、僕が赤ちゃんのときからちょっとでも暇があると毎回舞台の幕間に連れて行って。これが面白いのよと教え続けていたという。

澤本:英才教育ですね。

宮本:英才というか、僕はそれが普通の環境だと思っていたら、全然違っていて(笑)。変わってたんですね。

中村:どこかで見たんですけど、そういうのが原因で亜門さんは一時期ひきこもりになったと。それぐらいに周囲と世界が違ったということですか?

宮本:というか、会話が人と合わないよね。好きなものが新橋芸者だし。

一同:(笑)

宮本:山口百恵がどうとか全然思わなくて。僕は芸者さんのうなじに惚れこんでたし。

澤本:小学校の頃からですか?

宮本:そうです。だって、芸者さんがうちに必ずコーヒーを飲みに来てたから。お袋が「あの芸者は粋だねー」と言って、僕が「本当だよ、かわいいね。きれいだね」って、そんな話をしていたから、ませてるというか、ちょっと異常な状態になって(笑)。

澤本:小学校で他の子がどうと言っても。

宮本:全く会話に入れない。これは将来やばいと思っていたら、引きこもりになっちゃって。「人と美意識か何かがズレちゃったんだろうな」と思いましたね。最初は怖かったけど、演出家になったらそれを面白がってくれて。それで色々な考え方があると学べるようになったので、今はとても楽しいですけど、子どものときは厳しかったですね。

中村:聞いていいのかわからないですけど、引きこもりから脱却できた瞬間というのは?

宮本:もうめちゃめちゃな状態で、部屋の鍵を閉めて1年間ぐらい出なかったんです。ある日、お袋が叫んでいるので表に行ったら、親父が完全に泥酔していて。そこから親父と取っ組み合いになって、家にあった日本刀を親父が取り出したりして、僕は「やめてー」みたいな。すごいことがあったんですよ。

権八:いちいちすごい・・・。

宮本:すごいんですよ。ドラマチックに生きてるから演出家なんかやってるんで(笑)。その後、お袋と表に逃げたときに「なんで学校行かないの?」と聞くから、「どうしていいかわからないんだ」と答えて。そしたら「もう学校行かなくていいわ」と初めて言われて。「その代わり、病院に行って」と(笑)。それで慶應の精神科に行ったら、親父は慶應出身だから喜んでましたよ。

一同:(笑)

宮本:「やった、息子が慶應行けた」って(笑)。そこの先生が面白い人で、「宮本くん、面白いよ」となぜか言ってくれたんですね。明るい先生で、「明日もいらっしゃい」と言うから、1週間通っちゃって。それでなんやかんやで学校に戻れたんです。

澤本:えー、面白い。それはおいくつぐらいのときですか?

宮本:高校2年ですね。

澤本:じゃあ本当に思春期も思春期という感じですね。

次ページ 「「演出家」という職業を意識したのは、その頃だった」へ続く

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