思い通りにできなかったもののほうが評判が良いことも・・・
権八:上演をして、お客さんがスタンディングオベーションで拍手喝采というときは?
宮本:僕は一切感情が動かないんです。
一同:えっ!?
宮本:それは自分でも予想外だったんですよ。「よかったね」と言われても、どこか他人事のような。出演者も笑顔で、お客さんも喜んで、「あー、俺はここに関われたんだ。よかった、よかった、感謝」というぐらいの距離がある喜びです。その中で一緒に泣いちゃうことはありません。だからきっとスタッフが好きなんだと思いますよ。この距離感が楽しいんじゃないですかね。
澤本:すごいよね。客観に立ってるということだもんね。
宮本:みなさんはCMつくったりするときは、どうやって客側に立つんですか?
澤本:CMの場合は、TVで普通に見てると、予告もせずに急に流れるんですよ。
宮本:ですよね。それが羨ましい。
澤本:そのときにこのCMが自分で好きか、嫌いかというのはわかりますね。つくった後は頑張ったということしか考えてないような気がしますけど。本当は好きじゃないけど、そこそこ頑張ったなと。でも、家に帰って、忘れて素に戻ってTVを見ていたらパッと自分がつくったCMを見た瞬間に「これ、妥協しなければよかった」と思ったり。
宮本:へー!
澤本:そういう風にいっぱい思うものもあるし。
宮本:でも、あるときは妥協してよかったということもある?
澤本:ありますね。僕は自分が演出家になれないと思うのは、自分で面白いと思うものをやっていると、出来上がりがそんなに面白くない気がするんですよ。むしろ、誰かに言われて、この人がこんなに言うんだったら、「俺はこれぐらいつくれる」と渋々やったもののほうが、人から「あれ、よかったね」と言われたり。
宮本:それは僕もありますね。
澤本:え、本当ですか?
宮本:勝手に思い込みが出ちゃうこともあるので、観客がその想定と違う状況や立場で来てたりすると、そうなりますね。「これやらなきゃいけないの」「本当に辛い」「いいよ、やればいいんだろ」としぶしぶやったときに、逆にえらいヒットしたりしてね。案外、落ち込むんですけど(笑)。でも、自分の技術をそこでも使っていただけたと思えば喜ばしいことですよ。
澤本:宮本さんでもそういうことあるんですね。
宮本:あります。
澤本:僕はしょっちゅうなんですよ。こんなこと言うと怒られちゃうけど、僕らって仕事柄、色々言われるじゃないですか。クライアントからも、僕らの上のディレクター的な人にも。そういうときに本当に「これ嫌だ」と。僕はこういうのやりたかったのに、こんなに変えないといけないかと思いながら。やりますけど、自分がやったと人に言うのはやめようと思って。でも、いざそのCMが流れて、評判いいときに、「アレやったんですか?」と聞かれると、「やりました」って(笑)。
中村:澤本さんは障壁というか、それをうまく得意な場に変えて打ち返すところがすごいんでしょうね。
澤本:うーん、100%自分が思った通りのものをつくるって、僕の場合はたぶん面白くないと思うんですよ。
中村:(笑)
宮本:世阿弥の言葉の「離見の見」じゃないけど、離れたところから見る、みたいな。自分が入り込むんじゃなくて、客観視をしてね。演出家もそうだけど、あるときは入り込んで、あるときは「こんなに距離をもってモノを見るの?」というぐらい持たないとできないじゃないですか。その往復が必要だし、客観性を持って、どういう観客に何を見せるかということは必要ですよね。
中村:本番でお客さんが実際に入って反応しているのを見て、「あ、やっぱりこれをやりたくなっちゃった」みたいなことはないんですか? 初日がはじまってからも小劇場だと変えたりしますよね。