聞き手
福里真一(コピー年鑑2016編集委員長)
小杉幸一(コピー年鑑2016アートディレクター)
(『コピー年鑑2016』を手にとり、興味深そうにページをめくる、水野さん)
—生まれてはじめて見たコピー年鑑だと思いますが、第一印象は?
水野:まずは、でかい(笑)。でも、開くのが怖いというものではないですね。こういう本って、存在だけでお腹いっぱいになるものもあるけど、そういうものではない。かといって、電話帳みたいにぞんざいに扱えるものでもなくて、つくり手の何かしらの思いがあってつくられてる感じがする。だから、思わず開きたくなる。
(受賞作のページをじっくり見る、水野さん)
—今年のTCCグランプリは、au「三太郎」シリーズのテレビCMでした。
水野:三太郎のCMはすごく日本人的なウケ方だなと思ってました。桃太郎、浦島太郎、金太郎の物語をみんながすでに知っていて、文脈が共有できている。文脈の説明をすっとばしたり、文脈を少しずらしたりすることで注目を集めている。すごく日本的な感じがしますね。
—なぜあんなにヒットしたのか、水野さんなりの分析はありますか?
水野:歌をつくっている自分の経験から考えると、文脈の話につながるけど、どんなに違う環境にいても「共有できる経験」というものがあって、たとえば「卒業式」ってみんなが経験している。そういう前提を共有できるものには、みんなの興味がわく気がするんです。「みんな違うんだよ、だからわかりあえないね」と言ってる社会の中で、少しでも共有できるものがあると安心するというのは、理解できる感情ではあるなと思いますね。この三太郎シリーズはその究極のパターンかもしれない。みんなが知ってるストーリーを前提にしてるというのが。
—確かに、auのCMって、見ていてどこかほっとしますよね。
水野:それとのかかわりで言うと、シリーズものが増えた印象があるんですけど、どうですか?フォーマットがずっと維持されているものが、いまのCMには多い気がしていて。みんなが知っていて安心できるフォーマットを前提として求めていて、その上で、そこで何が行われるかを期待している、という感じがするんです。
(TCC賞の日産自動車のページで手を止めて…)
水野:この「“やっちゃえ”NISSAN」も印象に残っていますね。「やっちゃえ」という言葉は矢沢永吉さんじゃないと成立しない。矢沢さんがいままでにやられてきたことのストーリー込みで、メッセージが入ってくる。なぜこれに注目するかというと、歌の世界というのは、歌っている人がどういう人なのかということに重きを置かれることが多いんです。歌っている人が、どういう人生を送ってきたかということ込みで見られることが多い。僕はそこからは離れたいと思っているんですが、この広告を見ると、やっぱりこういうメッセージの伝え方は強いな、と思いますね。ちょっとやられたなという感じがします。