顧客の視点でどう考えるのか
前述の孫社長の発言を受けて、私は会場で「四半期決算などで金銭的目標という数値の目標を重視すると利益至上主義になりやすいと思うが、そうならないためにどうすればよいのか」という質問をさせて頂きました。
孫社長は、現在投資をされる際に「売上や利益では無く、何人の人を助けることができたかなどの別の指標を設定することを重要視している」と回答され、塩沼大阿闍梨は「1日1日の1人ひとりとの出会いを大事にし、出会った人に喜んでもらうことに注力する。大きすぎることを考えない」という趣旨の回答を、仏教の教えを元にお話しされていました。
ネット広告の普及の過程で、私たちはページビュー数やクリック率、コンバージョン率など、さまざまな数値の「量」を把握することができるようになりました。
ただ実は、その「量」だけを重視しすぎた結果、DeNA騒動のように見る人が見たら違法ではないかと疑問を感じるような手法で、とにかく記事を量産し、ページビューを増やし、メディアとしての成功をうたうことで広告主からさらに広告を獲得する、というケースが増えてしまっている面は否定できません。
ある意味、今回のDeNA騒動は一部のネットメディアだけの問題ではなく、ネット広告業界全体の構造問題が一番悪い形で噴出した騒動と言うことができるでしょう。そういう意味で今後、重要になってくるのは、孫社長や塩沼大阿闍梨が語られているように、顧客の視点で1人ひとりの人がどう感じ、どう動いているのかを想像することであるように思います。
鈴木教授も議論のなかで「今の時代に我々が直面しているのは『卒近代』というテーマ。近代社会はモノや物欲が中心の社会だった。現在の日本はモノに不自由していないが、無縁社会という言葉にあるように、明らかに幸せではない。日本は新しい社会の仕組みを根本から考え直す必要がある」という発言をされていました。
また休憩時間にコトラー教授にも同様の問題意識をぶつけたところ、「日本企業が行き過ぎた米国の利益至上主義を真似するのは間違っている。日本には昔から利益至上主義ではない素晴らしい理念をもって経営を続けている企業がたくさんあるのだから、彼らを参考にするべきだ」というコメントもいただきました。
昨年末のコラムでも「「誕生日おめでとう、これ買って!」メールはアリなのか、ナシなのか」という話をご紹介させていただきました。ネット広告においてもとにかく大量にノイズとしての広告を露出して引っかかる人だけを狙うという手法ばかりに偏るのではなく、広告が表示された際に1人ひとりの読者がどのように感じるのか、ということを意識することが重要になってきています。
それこそが読者にとっての本当の意味での「ネイティブ」な広告が重要視されるようになっている背景でもあると感じています。
2016年はネット広告やネットメディアにとって「最悪の年」と振り返られるのは間違いない印象もあります。2017年を2016年の騒動をきっかけにネット広告やネットメディアの「健全化が一気に進んだ年」と振り返られるようにすることは、今からでも目指せるはずです。
そうできるかどうかは、インターネットの広告やメディア事業に携わっている私たち1人ひとりが、ネットの先にいる顧客や読者の気持ちを考えて行動することができるかどうかにかかっているように思います。