「マス」に最適化した時代の終焉
前回のコラムでは、昨年のWELQ騒動を起点に、ネット広告は「目の前にいる1人」の気持ちを本気で考えられているか、というテーマを考えました。何名かの方からフィードバックを頂きましたが、この延長にある議論として出てくるのが、ネット広告だけでなくマス広告においても、「顧客の気持ち」を考える重要性が忘れられがちではないか、という点でしょう。
昨年は特に、企業が実施した広告に対して、視聴者が怒りを感じ、炎上騒動になるというケースが明らかに増えた年でした。そういう意味では、テレビCMなどのマス広告をつくる際にも、「視聴者の視点」で考えることの重要性は明らかに高まっていると言えます。ただ、ここで難しいのは、マス広告と顧客視点が往々にして「相性が悪い構造」になりやすいという点です。
このたび、『顧客視点の企業戦略』という書籍を宣伝会議から刊行させて頂くことになり、その中でもマス・マーケティングと「顧客視点」の相性の悪さについて書かせて頂きました。
マス・マーケティング時代は、マス広告の影響力が非常に高かったため、すべてが大量生産大量消費に最適化されていった時代と言えます。「マスマーケット」に対して、「マスプロダクション」した製品を、「マス広告」を通じて売り込む。マス・マーケティング時代は、企業活動全体がこの「マス」というキーワードに最適化されていた時代と言えるでしょう。しかし、そうした顧客に対して企業側が極端に有利な時代は、インターネットやソーシャルメディアの普及により終わりを告げようとしています。
先日開催されたYahoo!ニュースと日経新聞による共催イベントである「Media×Tech2017」の基調講演でも、講演者のジェフ・ジャービス氏が「インターネットが殺したのはマスメディアのビジネスモデルである。」と明確に宣言されていました。要は、大衆を「マス」として捉える考え方自体が死んだということです。
そもそも私たちは、それぞれ異なる趣味嗜好を持った1人ひとりの人間ですが、マス・マーケティング時代には、その集団を「マス」と捉えること自体が非常に効率的に機能し、「マスメディア」と「マス広告」と「マスプロダクション」が、お互いに支え合う形で大幅に進化を遂げていたわけです。
実は、このマス・マーケティングの構造自体が、1人ひとりの顧客の趣味嗜好に最適化するのではなく、企業の効率化を追及する仕組みになっているという点で、明らかに「顧客視点」ではなく「企業視点」の仕組みと言えます。
そのため、従来のマス・マーケティングにおいて常識とされてきた手法が、顧客視点で考え直してみると、どこかズレている、ということが往々にしてあり、それが騒動の火種になるということが増えてきています。