マス広告時代の常識は通用しない
マス広告では、広告を視聴者に半ば強制的に表示することができるものでした。そのため、広告メッセージも商品の特徴を強調するものであったり、企業側のセールストークが中心になったりすることが多くありました。広告主からすると、多額の費用を支払って広告出稿するわけですから、言いたいことを伝えたくなるのは当然です。ただ、その広告メッセージは、企業視点では「伝えたいメッセージ」かもしれませんが、顧客視点からすると必ずしも「聞きたいメッセージ」とは限りません。
セールストークが、押しつけがましく聞こえることもあれば、同じ広告メッセージを何度も聞かされることによって、イライラが募ってしまうこともありえます。従来はそういった視聴者のイライラが、広告主に直接ぶつけられることはそれほど多くなかったかもしれませんが、最近では一部の視聴者がイライラをネットに書き込むと、それをネットメディアが発見して煽り、炎上するケースも増えてきました。
広告動画をWeb動画として公開していた時には、それほど批判を受けることはなかったのに、テレビCMで放映し始めた途端に、批判の声が上がり、炎上騒動として注目され、テレビCMの放映を中止する、というケースが昨年は、いくつも発生しています。
そういう意味で、ネットのマス広告型の広告手法であるバナー広告が、コンテンツとしてのネイティブ広告に移り変わろうとしているのと同様に、マス広告であるテレビCMにおいても、「コンテンツとしてのネイティブ広告的なテレビCM」を模索する必要性が増してきているように感じます。
ソフトバンクの「白い犬のお父さん」に代表されるテレビCMシリーズや、auの「三太郎シリーズ」が多くの人に愛されているのは、そのテレビCMの中に広告メッセージが入りつつも、ストーリーがある「シリーズものコンテンツ」として多くの人に受け入れられているからでしょう。
テレビCMにおいて、マス広告時代の感覚で企業視点の広告をつくるのは、リスクが高い時代に入りつつあります。一方、コンテンツとして受け入れられる広告を顧客視点でつくることができれば、テレビでCMを閲覧する人だけではなく、わざわざWeb上で探して視聴し、友達にその広告をコンテンツとしてシェアしてくれる時代でもあります。
当たり前の話のように聞こえるかもしれませんが、マス広告の時代の常識を一度ゼロベースで見直してみることをオススメしたいと思います。