2月27日からは、PR部門の日本代表選考のためのエントリーが始まったが(3月10日まで)、若手PRパーソンにとって、カンヌライオンズやヤングカンヌは、一体どのような意味を持つのだろう。昨年、カンヌライオンズ本戦のPR部門日本審査員を務めた、橋田和明さん(博報堂ケトル)に聞いた。
異常に嫉妬した、25歳、初めてのカンヌ
—橋田さんは2016年、カンヌライオンズ本戦のPR部門の日本審査員を務めました。おそらくその前にもカンヌには参加していると思いますが、初めて現地に行ったのはいつですか?
僕が初めてカンヌライオンズに行ったのは、入社4年目の2005年です。どうしても行ってみたくて、自費で参加しました。若手の登竜門であるヤングカンヌは、すでに始まっていたのですが、ポスター部門だけだったんです。だから、当時ストラテジックプランナーという肩書だった自分には当てはまらない気がしていて、参加は考えてもいなかった。でも、そんなこと気にせずに挑戦してみればよかったです。今はPR部門も含めて、たくさん部門があって正直うらやましいですよね。ヤングカンヌの参加資格は30歳以下なのでもう参加できませんが、今、自分に資格があれば絶対にチャレンジすると思います。
—初めて訪れた時の印象をまだ覚えていますか?
初カンヌの体験が、僕にとってすごく強い“スイッチ”になったので、今でもよく覚えています。
現地には、フィルム部門にエントリーされた全作品(つまりCM)をひたすら流している部屋があるのですが、そこで一日中、作品を浴びるように見ていました。他にも見ている人がたくさんいて、作品ごとにブーイングが起きたり、拍手が起きたりするんです。世界中の人のリアルタイムな反応を横で見ながらクリエイティブのシャワーを浴びるっていうのが、カンヌの一つの醍醐味だと思います。
—今もカンヌに行ったら、クリエイティブのシャワーを浴びて過ごすのですか?
そうですね。PR部門の審査員を務める前年の2015年に訪れた時は、部門を絞り込んで、PR部門のショートリスト以上の全作品のエントリービデオを見ました。ショートリスト以上って、2015年のPR部門では200本あったように、かなり数が多いですからね。でもショートリスト以上を、受賞作が決まる前に全部見ておくと、あとで受賞作が決まった時に、「あの作品がゴールドを獲った!」「あれはグランプリだ!」などと思えて、とてもうれしいですし、いいと思った作品がブロンズも獲らなかった、というようなことがわかると、なぜだろうと思える。そうやって、自分の中で疑問や納得を繰り返すことが、とても勉強になると思います。
そして、それぞれの作品を、戦略やアイデア、エグゼキューション(実行力)などに“デコンストラクション”する。つまり、そのキャンペーンがどういう構造でつくられていたのかを分解してみる。それをその場でできるし、その結果をその場で知り、みんなで議論できることが、カンヌ現地に行くことのメリットですよね。
—ショートリストから、ゴールド・シルバー・ブロンズ、そしてグランプリの発表と、審査の過程を目の前でリアルタイムに体感できるのは、現地ならではの楽しみ方ですね。その最終形である、授賞式はいかがでしたか?
授賞式を最初に見た時、異常に嫉妬しましたね。自分もあの壇上に立ってみたい、という純粋な思いが湧き上がってきました。もちろん、賞を獲ることは過程や手段であって、それが第一ではありません。でも、自分がどれだけ高いクリエイティビティを発揮できるのか。それを世界と勝負してみたい、と素直に思うきっかけになったんです。最初は勉強のつもりだったのですが、刺激を受けて、嫉妬して、いつの間にか自分も、競っている人たちの仲間に入りたいと思うようになっていました。そういう意味でも、カンヌに行くことには、とても意味があると思います。