『湯を沸かすほどの熱い愛』中野監督に聞く 「映画学校の3年間が人生の分岐点」(ゲスト:中野量太さん)【前編】

銭湯を取材して知った意外な事実

澤本:銭湯を書くときは取材をするんですか?

中野:もちろん。銭湯に行ったり、調べたり、実際に何軒も回って。映画ではお葬式を銭湯でするんですけど、それは僕の中では想像のシーンだったんです。富士山の絵の下でお葬式をするのはいいなと思って書いたんですけど、取材したら、「うちのばあちゃんもここでやったよ」という銭湯が実際にあって。

澤本:本当ですか?

中野:はい、2軒ぐらいありました。やっぱりそういう思いがあるんだなと。これはいけると感じましたね。

澤本:全体がちょっと嘘だろという感じなんだけど、ある種のリアリズムに貫かれているという不思議な映画だよね。

中野:映画は日常を描くものですが、僕はギリギリのところを描こうとずっとしていて。映画の中の世界の面白さも伝えたいし、はみ出てしまったら、それは僕らの遠いものになってしまうので。日常と非日常のギリギリのところが一番面白い世界だと思って、ずっとそのへんを狙っています。たぶんこれもリアルなのか、リアルじゃないのかというギリギリのところを攻めてます。そこが成立すると、やっぱり面白いんですよね。

中村:確かにリアルだとしたら、ちょっとオダギリジョーの役はしょうもなさすぎますからね。だらしない奴なんです。

権八:女をつくって出て行っちゃった旦那さんの役で。

中村:たまたまですが、舞台が私の故郷・栃木県足利市だったので、わりと見たことのある場所がたくさんあって。

澤本:洋基くんが知ってる銭湯なの?

中村:そうです、ビックリしました。

中野:今、足利市さんは映画の撮影の誘致を頑張っていて。

澤本:足利市は『バンクーバーの朝日』という野球の映画のときも巨大セットをつくって。「日本のハリウッド」を目指していると。

中村:本当にひなびたゴーストタウンですけどね(笑)。

権八:監督自身は足利出身ではないんですか?

中野:僕は京都出身です。もともとは東京にいたんですけど、あまり覚えてません。小学校1年生のときから大学を卒業するまで京都でした。日本映画学校が神奈川県の新百合ヶ丘にあるので、それで出てきたのが19年前ぐらい。そこからずっとこっちに住んでます。

澤本:大学を出てから入り直したんですか?

中野:そうなんです。学校ばっかり行ってたんです(笑)。

澤本:大学のときには映画をつくったりは?

中野:僕は映画少年でも何でもなかったんです。だから、無理矢理、僕は映画だと決めつけて。

澤本:きっかけは何かあったんですか?

中野:表現や企むことは昔から好きで、大学時代はずっとバンド活動をやってました。大学を卒業して就職の時期になっても、そんな気分になれず、何か表現したいなと思ったときに「映画嫌いじゃないな」ぐらいの感覚だったんです。

澤本:嫌いじゃないと思った勢いで映画学校に入っちゃったんですか?

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