「キャンペーン思考」と「課題解決型コンテンツ思考」という弊害
ひとつ目は、「キャンペーン思考」という弊害です。SXSWはTwitterやAirbnb、Pinterestなど、今をときめく新興ビジネスたちが最初に日の目を見た場所としても知られています。そしてこうした優れたビジネスアイデアに共通しているのは、新しいWay of living(生き方・暮らし方)を創造しようとしているという点です。これらは一見して、ユーザーに継続的に続く “線”のような広がりを感じさせます。ビジネスにおけるイノベーションとは「人々の生活をより豊かに継続的に塗り替えること」によって実現されるものだと思います。iPhoneやAmazonダッシュボタンだってそうでした。その本質は昔も今も変わらないのではないでしょうか。
一方、我々は長らくキャンペーンというフレームに縛られてきました。キャンペーンというのは限られた期間と予算の中で最大の効果をもたらすことが求められます。その意味でどうしても短期的な視点に立たざるをえません。このキャンペーン思考が脳とカラダに染み付いているがゆえに、ビジネスアイデアというフィールドにおいても、我々は無意識に瞬間的なスパークをつくり出そうとしてしまうのではないかと思うのです。
2つ目は、「課題解決型コンテンツ思考」という弊害です。優れたビジネスアイデアの多くは、非常にシンプルです。しかし、それがどう使われるのかという点においては余白があります。主導権はあくまでもユーザー側にあり、製品やサービスは彼らのポテンシャルを拡張するための非常に便利なツールなのです。ユーザーに対して、ソリューションではなくインスピレーションを提供しているという言い方が正しいのかもしれません。
例えばTwitterの提供するサービスは非常にシンプルですが、その使い方には無限の可能性があります。だからこそ多くのユーザーはこのサービスからインスピレーションを受けとるのです。この余白の部分が、サービスを継続的な体験へと変換するトリガーになっているのではないでしょうか。
一方で我々アドエージェンシーには、課題解決型コンテンツを追求する、ある種の癖があります。まず初めに課題を設定し、それを解決するソリューションとしてのコンテンツをアウトプットするのが一般的な流れです。決められた期間の中でクライアントから結果を求められるアドビジネスにおいては必然とも言えます。
このアドビジネスにおける非常に重要なファクターが、製品やサービスを通したユーザー体験を“線”ではなく“点”にしてしまっているのではないかと思うのです。つまり製品やサービスというコンテンツを通して特定の課題を解決しようとするがあまり、逆にユーザーに余白を許さない状況をつくり出しているのです。