箭内さん!大学でどんなことを教えているんですか?

—箭内さんは実際、どんな授業をしてるんですか?

秋田美大でやっていたのは、「自分の短所を長所に変換する」とか、同級生をアーティストとしてプロデュースする「スター誕生」っていう課題。今年はチームをつくってラジオ番組を制作し、実際に渋谷のラジオでオンエアしました。僕がしたのは、そこで何かを教えるんじゃなくて、学生たちが自ら考えて何かを見つける、きっかけや場をつくることでした。

2008年から青山学院大学の箭内ラボで続けているのは「GANGSTAR PRODUCER AOYAMA」という授業。自分が応援したいもの、伝えたいこと、どうしてもいま広告したいものを勝手に”広告”します。大学構内で秋にその臭いが疎まれている銀杏の実だったり、母の日の翌日に売り場で余ったカーネーションだったり、渋谷ののんべい横丁だったり。

今年、東京藝大の2年生に出した課題は「チャーミングな異の唱え方」。世の中に何か異を唱える人は多いけれど、みんな怒りの拳を振り上げるばかりで、周りが怖がってしまったり、引いてしまったり、耳を塞いでしまうと思うんです。そんないまこそ、クリエイティブの出番なんじゃないかって、「チャーミングな異の唱え方」を学生たちが考えました。それぞれがいま、一体何に異を唱えるか?というところから。3年生の「映像論」の授業では僕の友人であるラッパー、ライムスターのMummy-D指導の下、学生たちが各自ラップをつくり、それにそれぞれが映像を付けました。映像ディレクターの辻川幸一郎くんと児玉裕一くんが一緒に見てくれています。

僕は、大学で「社会に出てからやること」のウォーミングアップをしても仕方がないと思っていて。ものづくりの出発点における初期衝動そのものを養成したいというか。例えば野球でいうと「地肩をつくる」って言うんだけど、投げ方を教えるのではなく、肩を強くする。そういうことをしたいなと思うので、方法論になり過ぎないように気をつけているし、精神論にもなり過ぎないようにしています。

—東京藝大では、企業とのコラボレーションプロジェクトも始まっていると聞きました。

僕の研究室の学生たちが、パルコの新しい仕事に携わったり、5月にメジャーデビューするシンガーソングライターのミュージックビデオを、学年を跨いだメンバーでつくったり……。どれも“小型のプロ”や予備軍としてでなく、現役の東京藝大生だからこそできるセンスと技術、そして青臭さが肝要なプロジェクトですね。忙しいですよ。

—クリエイティブ業界を志す人は、学生時代にどんな力を培うべきだと思いますか?

客観と主観、その両方を強くするということ。また、ものをつくる情熱や楽しさ・難しさを知ることだと思います。あとは仲間も大事ですね。宣伝会議の講座もそうですけど、同じ課題に対して違う答え方をする人を間近に見ることができるって、ものすごく貴重な場だと思います。同じ課題に取り組んでいるからこそ、自分以外の脳みそを見ることができるっていうか、違いを知りやすいんですよね。「あ、自分と同い年で、こんな言葉を出す人がいるのか」「やられた!そこは思いつかなかった」とか、そういうところが面白みだと思います。講師が「教える」こと以上に一番大事なことですね。そんな中で同級生や先輩後輩を巻き込んだチームでひとつのものをつくることも面白い。

—ちなみに大学の教授って、授業以外の業務もあるんですか?

いろいろありますよ。藝祭の神輿パレードの警備をやったり。僕は全部には出られていないけど、会議もたくさんありますね。また、今年迎える創立130周年を機に広報の改革をやっていくべきだっていう学長の特命で、東京藝大のクリエイティブディレクターにも就きました。学生を育てること、学生たちに何か特別な体験をさせることと同時に、東京藝大というものが今の時代、これからの時代にどうあるべきか、それをどう伝えるべきかということも僕の仕事になりました。

—冒頭の、「若い人たちがこれからの世界をつくる」という話に戻りますが、学校の授業で箭内さんが未来へのバトンを託すというのは、かなりの不特定多数に向けて強めのボールを投げているような気もします。

不遜な言い方をすると、自分の中で、「自分の会社よりもこの世界が大事」って思っているんだと思います。自分でも意外だなと、話しながら思うんですけど。この中のたった一人だけでもいいから、その人の何かが変わったり、その人の中で何かが突然見えるようになったりといったことが起こるかもしれない限りは、宮藤官九郎さんや又吉直樹さんや是枝裕和さんや秋山晶さんと、豪華すぎる現役たちを呼び続けて授業をしないといけないという決意があるんでしょうね。忙しい中教えに来てくれる自分の仲間たちには申し訳ないんですけど。

このバトンを受け取る相手は誰なのかわからないけど、秋田美大や青学、東京藝大にいるかもしれない。そう思わないと、選んでからバトンを渡していたら人生が終わってしまう。相手に、ちゃんと響いていることを実感するほど、僕の「やらなきゃ!」という気持ちもますます強くなっていって。4月に着任した時の気持ちとはずいぶんと変わってきましたね。

次ページ 「—「相手に響いた」と感じられることって、教える側にとっての喜びですよね。」へ続く

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箭内 道彦
箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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