コンテンツの供給、加えて広告ビジネスは、「過剰性の経済」ともいうべき段階に突入している。
「過剰性」の対極は、「希少性」だ。希少性を原理とした経済の仕組みは、私たちが慣れ親しんできたもので分かりやすい。需要があり、かつ供給が潤沢でなければ、対価は基本的に下落しない。
だが実際には、その逆の現象にわれわれは向き合い続けている。コンテンツ、あるいはメディアビジネスが、過剰性(つまり、同様のコンテンツが十二分に供給されている状態)の経済の下にあるのだとすれば、メディア運営者、コンテンツクリエーター、周辺の事業者は何をすべきだろうか?
希少性の価値が揺らぐビジネス環境
本稿では、メディアと業界を異にするビジネスに、その解を見い出そうとする論を紹介する。そこからコンテンツの潤沢な供給が引き起こしているのかもしれない、価値下落から反転していく理路を考えてみたい。
※本稿は、2012年に執筆した拙稿「コンテンツに価値を取り戻すために ミネラルウォーター事業に学ぶ5つのアプローチ」を改稿したものです。
希少性の経済から過剰性の経済への移行がもたらす大変化を、見事に喝破したのは『フリー<無料>からお金を生みだす新戦略』を著したクリス・アンダーソン氏だ。
インターネット上では、多くの消費者にとって希少であるべきコンテンツが、無数の同種記事に埋もれてしまうようになってきており、また、話題性のあるコンテンツであれば、おびただしい数の引用記事や複製がそこに連なり、結果としてコンテンツが持つべき価値感が突き崩されている——。
こう感じているメディア従事者は少なくないはずだ。
だれもが情報発信でき、情報流通が高度化した今は、ひとつの情報(コンテンツ)が、他の情報に対して差別性を明瞭に訴えることが一筋縄ではいかない時代でもある。また、コンテンツ制作にかかるコスト削減にどの商業メディアも取り組むが、それは結果として「WELQ問題」に象徴されるように、従来であれば“メディア”とは名乗れなかったようなWebサイトとも広告収入を奪い合うような事態さえ招いてもいる。
コンテンツにどう付加価値をもたらすか?
そこで今回、考えたいのは、かつて商業メディアが持っていたかもしれない価値を、いかにして取り戻すのか? というテーマだ。
筆者が感じているのは、メディア(運営者)がコンテンツに与える付加価値が重要だということだ。ここに参考にしたい記事がある。MediaPost 掲載「How To Turn Your Inventory Into A Valuable Commodity(在庫をいかに価値ある商品へと変化させるか)」だ。
記事はユニークな例示を用いている。それは、潤沢性の象徴とも言える“(飲料)水”の産業化に学べということなのだ。あるいは、付加価値や差別化が本来は難しい素材にどのようにして、価値を積み増していくのかということでもある。
だれも水を欲する。それをタダで手に入れていたのは、そう遠い過去のことではない。
しかし、最後に乾きを癒やすために水を飲んだ時を想定すると、それは蛇口から出た水ではなかったはずだ。われわれは、ボトル入りミネラルウォーターを買うことに慣れてしまっている。
飲料水の販売は、数十億ドルの収益を稼ぐ産業へと成長している。それは基本的にタダ、有り余るもののはずなのだが。これはパブリッシャー(メディア企業)が学べる価値あるレッスンなのだ。
水と空気はタダ、という時代は多くの人にとって常識でなくなりつつある。近くのコンビニエンスストアへ足を運べば、そこには、二けたにも及ぶ多様な飲料水が並ぶ。ここにコンテンツの価値下落に悩むメディア企業の学びがあるはずだというのだ。さらに論を紹介しよう。
デジタルメディアが生み出す在庫品目は、とても“水”に似ている。有り余るほど存在し、まったくタダというわけでないにしても、低価格化を突き進んでいる。景品のようにタダとなるか、ほんの小銭稼ぎとなるか……。われわれは差別性のない商品在庫の海でおぼれかけているのだ。
ある調査によれば、広告予算は順調に伸びているにも関わらず、デジタル広告の販売レートは年々下落している。広告ビジネスは明らかに需給バランスを欠いた過酷な状況に直面している。また、別の調査では、2012年には4兆にも及ぶ広告在庫が生成されるとする。単純に言って、これらの在庫を埋めるほどの広告需要は存在しない。広告価格は下落していくのだ。
言わずもがなの交通整理をすると、Webではコンテンツページが表示(ページビュー)されるたびに生成される広告表示機会(広告インプレッション)を得る。これが“(広告の)在庫”を意味する。在庫はつねに生成され続けなければならず、ストックしておくことができない電力のようなものだ。インターネットが誕生して以来、基本的に総ページビュー・総インプレッション数は伸び続けてきた。つまり、在庫が積み増してきているわけだ。
問題は、その伸び続ける増分を、広告ニーズが十分に満たせなくなっているということだ。供給が潤沢ともなれば、その商材の価値の差分が決定的な優勝劣敗を導くこととなる。
各々のメディアは、運営するメディアのページビューをさらに増やことにより収入増を目指すわけだが、そこで需要が伸びなければ自ずと価格の低減圧力が顕著となる。これがメディア企業をここ数年悩まし続けている問題なのだ。あたかもコンテンツが、(商品としての)自らの価値を失っていくかのように見えるというわけだ。