ネット広告界は「文化」を見直すべきかもしれない
私の息子は大学生で、昨年免許を取りました。クルマを買い替えるなら息子の意見も聞いておこうとカタログを見せたりするのですが、興味を示しません。「パパの好きなのを選んだら?」と殊勝なことを言ってくれるのはいいのですが、親としては息子と一緒に選びたいのに、話にのってきてくれなくて寂しいわけです。
それに自分の若い頃はクルマってワクワクするもので、それなりに知っていましたし、自分で買う時はあれこれ悩んでそれも楽しんでたものです。息子はクルマに対してそもそも淡白であまり興味なさそう。
でも当たり前なんです。だって彼はテレビを見ない。だからクルマのCMにも接しない。高校に入った頃からまったくテレビを見なくなったのでもう5〜6年クルマCMを見てない。
今の若者たちにとってはそもそも、広告コミュニケーションのファネルがファネルになっていないことに気づきました。ネット広告だけに接触する日々です。広告コミュニケーション的には殺伐としています。
テレビを見ないから認知もされてないしクルマにワクワクもしていない。そんな中でバナーだけ出されても効果ない。いや、息子のネットワールドにはクルマのバナーも出てこないでしょう。クルマの情報を収集しようともしてないのだから、ターゲティングされないわけです。
これ、やばいでしょう!“見込み客にターゲティングする”仕組みでは、見込み客が生み出せない。だからそのうち、ネット広告に予算割いても消化しきれない商品が続出するかもしれない。
こんなおそるべき世代がこれから、社会にどんどん出てきます。やがて恋もして結婚もして家庭を持ちます。あと10年くらいですよ。
どうすんの?ねえ、皆さんどうします?
だからネイティブ広告がこれから必要になる。それがもちろん一つあります。そしてここではもっと、パラダイムシフト的なことまで考えたい。ネット広告の考え方の基本を変えないといけないのではないか。
指標を変えようとか、具体的なところはまた、もっとちゃんとした方に譲るとして、私が言いたいのはより理念的な話です。
例えば、「手売り」という言葉があります。ネット広告は基本的にプログラマティックなので、仕組みに沿って広告が“流し込まれる”ことになりますよね。そうではなく、非常に特殊な広告枠や広告企画を、企画書を持って説明して「いかがでしょう?」と売り込んでいく。そういうやり方を「手売り」と言いますよね。
私はこの言葉を知った時、びっくりしたんです。だって明らかに「手売り、って面倒で効率悪いけど、やんなきゃいけないこともあるからね」と、いう気持ちがこもっています。「えー?わざわざ説明して一つひとつ売るの?」という、「わざわざ手で売る」というムードが言葉から滲み出している。ひどい言葉だと私は思います。
私は、この言葉は「ネット広告の基本姿勢」を象徴していると思うんです。そしてそこには、ネット広告の“文化”の問題点も見えてくる気がする。それは、なんでも数字にしちゃうことで、だからこそ安売りになっちゃってること。人の気持ちを動かす事業なのに、気持ちをすっ飛ばして数字の話だけしている。そんな文化が見えちゃっているように思えるのです。
私はネット広告がダメだというつもりはない。むしろこれから進化していくべき領域です。先のファネルになっていないファネルを再構築するならネット広告がその場になるはずです。その時に、ネット広告界が持つ文化みたいなものを、ここで見直すべきじゃないか、と言いたいわけです。
ちょっと中途半端で抽象論、精神論みたいになっちゃってますが、もう少し整理して、またそのうち書きたいと思います。
境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)
1962年福岡市生まれ。1987年東京大学卒業後、広告会社I&S(現I&SBBDO)に入社しコピーライターに。その後、フリーランスとして活動したあとロボット、ビデオプロモーションに勤務。2013年から再びフリーランスに。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Borer 」を発刊し、テレビとネットの最新情報を配信している。著書「拡張するテレビ ― 広告と動画とコンテンツビジネスの未来―」。株式会社エム・データ顧問研究員としても活動中。お問合せや最新情報などはこちら。