『100万社のマーケティング』は、「デジタル時代の企業と消費者、そして社会の新しい関係づくりを考える」をコンセプトに、理論とケースの2つの柱で企業の規模に関わらず、取り入れられるマーケティング実践の方法論を紹介する専門誌です。記事の一部は「アドタイ」でも紹介します。第10号(2017年2月27日発売)が好評発売中です!詳しくは、本誌をご覧ください。
成熟化したと言われる環境下でも、新たな顧客を創造し、市場を創る経営トップがいます。そして、そこには瞬間的に売れるだけでなく、売れ続けるための全社を挙げた取り組み、さらには仕組み化があります。商品戦略、価格戦略、流通・販路戦略、プロモーション戦略に着目し、売れるためのアイデア、仕組みを解説・紹介していきます。
山本健 Takeshi Yamamoto
サエラ 代表取締役
1955年、福岡県生まれ。1973年、台湾の貿易商社に入社。フィリピン、フランス、ロシア、日本と世界に向け雑貨を販売し、50名ほどの傘工場を設立。1985年、ブルガリア、ロシアへ営業販売に出向いた際、フランス、イタリアの傘メーカーおよび材料メーカーを訪問。1991年、日本でサエラを設立し、イタリアの材料メーカーの資材と日本の加工技術で新しい日本の傘を創造。1996年、自動開閉の傘の販売のため、世界最大手傘工場との取引を開始する。強風でも壊れず着せ替えができるビニール傘「エバーイオン」を発売し、地球にやさしい傘として注目を集め、使い捨てられる傘の消費構造を変えるべく活動を続けている。
「傘」と聞いて、どのようなものを連想するだろうか。コンビニエンスストアなどで売られている1本500円のビニール傘?それとも百貨店で売られている数千円~1万円ほどの高級傘?スーパーほか量販店で手に入るような、1000円~3000円ほどの普及品を思い浮かべる人もいるだろう。
1991年創業のサエラは、雨具の製造販売を手がける会社だ。同社の傘は骨組みに プラスチックを用いて風雨への高い耐久性を備えつつ、数千円という手頃な価格を実現。ビニールの傘生地はユーザーが自分で交換することもできる。さらに材料にプラスチックを多用することで、廃棄時の分別の手間を省き、リサイクルのしやすさに配慮しているのも特徴だ。
「そもそもは、柄や傘生地などの材料をイタリアや英国など欧州から輸入し、国内で組み立てて販売したのが始まりです」と話すのは、同社代表の山本健氏。「海外ブランドの高級傘は数千円~1万円以上するものが多くを占めていました。それらが高価なのは、洗練されたデザインに加えて、上質な材料を使っているためでもあります。しかし自分たちであれば、同じ材料を使って国内で組み立てることで、高品質でありながら適正価格で提供できる、という自信がありました」(山本氏)。
デザインや質感で高級品に劣らない品質の傘を、海外ブランドの半分以下の価格で提供する。そうした同社のねらいは当たり、2000年頃まで百貨店を中心に好調なセールスを記録していた。ところがバブル景気の崩壊とそれに続く長期のデフレは、国内の傘業界にも変化を強いることとなる。1995年の阪神淡路大震災も景気後退に追討ちをかけた。労働コストの低さを求めて、製造拠点が相次いで台湾や中国など海外に移転。日本製の傘は価格面で苦戦を強いられ、市場から減少し ていった。
山本氏は、「当社は国内製造にこだわってきましたが、国内産と海外産との価格差は開いていき、従来のビジネスモ デルのままで傘を売るのが難しくなっていました」と当時を振り返る。
ブランドが確立されている高級傘と違い、当時のサエラの主力商品である数千円のノーブランド傘は、デザインや質感の良さだけでは、より低価格な競合商品に太刀打ちすることが難しくなりつつあった。
「品質はそのままで、試しに価格を3000円~4000円ほどに引き下げてみたこともありました。しかしすぐに類似品が市場にあふれる。競合他社は材料さえ揃えれば、海外の工場でより安い製造コストで生産できます。当社がいかに価格を下げ、デザイン性に工夫を凝らしても、2000円ほどのコピー品に翻弄されるという状況が、2000年以降もしばらく続いていました」(山本氏)。
同社の主なマーケットである衣料や雑貨などの量販店では売上が下降。企業努力を上回るスピードで雨具市場、とりわけノーブランド傘のコモディティ化が進行していた。そして、この流れに拍車をかけたのが、500円で買える傘や安価なビニール傘の台頭だった。
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