自動車会社のディーラーからコピーライターへ
下川:クルマ会社のディーラーでした。法人営業でした。
黒澤:なんと、まさにお二人とも、インタビューしたかった理想の人です(笑)。
下川:入社してすぐに関西へ配属でした。行ってみてわかったのですが、友達がひとりもいなかったんです。孤独でした。そして、仕事も自分とは合っていないように感じました。
黒澤:そんななかで、コピーライターへの道をどうやって見い出していきましたか?
下川:コピーライターについて知ったのは、中島らもさんの本がきっかけでした。面白い本が読みたいなあと、何気なく手にとったんです。中島さんは、作家でありながら、コピーライターでもあったので、こういう人がコピーライターになるのだと興味が湧き、通信のコピー塾を始めました。
黒澤:道を歩き始めたんですね。
下川:小さな分かれ道だったと思うのですが、その塾の成績が悪くなかったんです。ちょうど仕事を辞めようと考えていた時期だったので、本気でコピーライターを視野に入れ出しました。で、お金を貯め始めました(笑)。
黒澤:なぜですか?家を買おうとか?
下川:いえ、会社を辞めて東京に戻って、コピーライター養成講座にチャレンジしようと思ったんです。無職になりますから、生活費を貯めようと決意したんです。
黒澤:無職かぁ、すごい決意でしたね!
下川:今、思うとちょっと冒険だったかもしれません。講座に通い始めると、未経験でも歓迎の求人情報いくつかあって、幸いなことにとある事務所に採用していただいたくことができました。でも、すぐに諸事情でやむなく事務所を去ることになり、また無職になってしまいました。25歳でした。
黒澤:若いのに、波乱万丈な。
下川:でも、もう未経験者ではなかったし、コピーライターの名刺をもらっていましたから、再チャレンジできました。そして、縁があって、日本デザインセンターに採用していただきました。
黒澤:採用されたポイントはなんだったと思いますか?
下川:課題が出ていました。ポートフォリオはあまりよくないと思っていたので、死にもの狂いでやりました。そうそう、僕は講座でも金の鉛筆を中島さんの半分くらいしか取れていないので、書く才能はそんなに豊かではないとも感じています。ですから、やる気しか見せる物がないと思いました。やる気が、僕の作品だと。
黒澤:なるほど。採用されたことも素晴らしいですが、そのプロセスも素晴らしいですね!さて、なられてからどうだったか、今のことを次にお聞きしたいです。
『これから、絶対、コピーライター』
博報堂で、長年にわたりクリエイティブ人材の、採用・発掘・育成に努めた著者が、門外不出であったコピーライターになるための方法を初公開。「コピーライターになる人は、特別な才能や、資格を持っている人?」。そんな多くの誤解を解きつつ、コピーライターのイキイキとした実像を明らかにします。コピーのツボを、例題を解きながら教えてくれる「ツボ伝ツイート」も。就職者、転職者、必読のコピーライター入門、決定版。