西村佳也 聞き手:武田さとみ
体験することでコピーが変わる
武田:西村さんは以前、TCCの座談会で「時間をかけてコピーを書いている」とおっしゃっていました。そういう風に仕事ができたら素敵だと思うのですが、今の広告業界の仕事は納期や担当する期間が短く、色々なことが“速すぎる”と感じます。
西村:僕が担当した仕事は、大抵5年以上は使われたものばかりです続いているんですね。一番長い仕事はサントリーウイスキー「山崎」で、30年近い付合いになります。「なにも足さない。なにも引かない。」というコピーは、25年使っていただきました。
西武百貨店を担当したときは、浅葉克己さんと出店する地域を5年ほどかけて回り、その都度建築現場を見学したり、店の周辺を歩きまわって現地の方の話を聞いたりしました。そうすると、その地域に暮らしている人達が何を必要としているか、わかってくるんです。「女の時代。」はそんなドサ回りの後に生まれたコピーです。
武田:25年も使われるコピーは時代に左右されない耐久性を持っていて、絶対に変わらない商品の心臓を捉えているんだろうなと思います。その本質の捉え方はどうしたら身に付きますか?
西村:コピーを考えるときに「長く使ってもらおう」とは考えていませんよね。山崎の場合は「ピュアモルトの価値はどこにあるか?」を考えた結果、自然に本質的な価値の表現にたどり着いたんだと思いますよ。
武田:最近は、西武のコピーのように取材をしたり、関係者にじっくり話を聞く時間を取るのが難しい状況にあります。
西村:広告の仕事は足を使ってネタを探すことが大事です。そこで直接の表現に繋がる発見がなかったとしても、ターゲットとコミュニケーションをしっかり取れていれば、大きな間違いを犯すことはなくなります。
「山崎」の仕事も、もしも僕がお酒を飲まない人だったらウイスキーの広告をつくることはなかったと思います。
その点、僕はもともと呑兵衛だったので、お酒にまつわる体験がたくさんあり、それをもとに“自分自身に語るような感覚”でスムーズにコピーを考えることができました。
武田:「触ってごらん、ウールだよ。」はどのように考えましたか?
西村:ウールの仕事は企画をまとめるまでに半年あったので、何十か所も取材に行きました。僕はそもそも服に興味がない人だったので、仕事を受けてからウールのセーターを意識して着るようにしたり、銀座の壹番館のテーラーや毛糸屋さんたちから話を聞いたりしました。
その半年で3年分に相当する40本ほどの新聞広告の企画をつくり、実際にそれが3年間掲載された。「触ってごらん、ウールだよ。」はその後ですね。これは“普通の言葉”ですが、僕はどちらかというと、当たり前の生活の中で、当たり前のものに向かって、当たり前の言葉で書くタイプなので、面白いコピーや良いコピーを書こうと思ったことはないんです。
武田:その商品に対する自分の体験がないと書けないのかもしれないですね。
西村:体験があれば明らかに違いますね。ウールの仕事ではファッションに興味のなかった生活を変えて、そこで受けた刺激をそのままコピーにしています。例えばテーラーに聞いた「良いウールははさみを入れたとき、感触が違う」というのは僕にとって新しい発見で、その驚きや発見が「さくさくさく、ぱちん。」になりました。自分の身の丈で感じたおどろきや体験をただ書いているだけなので、僕のコピーはある意味、エッセイに近いのかもしれません。
武田:西村さんは俳句もつくっていらっしゃいますよね。私も最近、短歌をはじめたのですが、コピーは「人から頼まれる言葉」で俳句や短歌とは違いがあるのかなと思いますが、俳句はどのように考えていますか。
西村:俳句もコピーも基本的に同じだと思います。そもそも僕は広告を「頼まれて作っている」という意識があまりないし、商品を売りたいと思ってコピーをつくったことがありません。
意識しているのは、関わった商品をどのように表現するか、また、それによってブランドがどう確立していくかということで、それはすぐにモノが売れるかということと何の関係もありません。それから、せっかくこの商品に関わったのだから、自分の言葉できちんと表現してあげたい。そんな気持ちもあるのだと思います。
武田:最近の広告に対する印象は以前と比べて変わりましたか?
西村:言葉の力がなくなっている気がしますね。面白いことを書こうとか、賞を獲ろうとか、カッコつけようとしすぎているんじゃないでしょうか。僕は賞を獲ろうと思ったことはないし、「人にどう見られるか」ばかりを意識すると、言葉はぎこちなくなります。
武田:「とにかく見て!」と言っているようなコピーが多くて、スッと入るものが少ないかもしれないです。その背景の一つには、どうしても競合が多く、同じチームが長く続かないということも関係あるのかなと感じるのですが。
西村:競合プレゼンはよくないと思います。どうしても「1回の勝負で勝たなきゃ」と考えるから、それが言葉の力を削いでしまっている一因なのかもしれません。
武田:時代が変化する中でも、広告が失ってはいけないものは何でしょうか?
西村:一時、広告が自己表現みたいになってしまったことがありましたが、僕はあまり賛成できませんでした。広告は最終的にはブランドをつくっていくことなので、ブランドの思想や哲学と、自分の生き方や哲学が重ならないと苦しくなります。そういう商品に巡り合えるかどうかも大事ですね。