オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎

広告はどのように変わるべきだろうか?

昨年の12月、筆者の家に「Amazon Dash」がやってきた。筆者は、大のウイスキー好きであり、家にいる夜は、ほぼ毎晩、ハイボールを飲んでいる。そのような筆者にとって「炭酸水」が冷蔵庫から切れていることは、トイレにトイレットペーパーがない、というような惨事であるため、物理的にワンボタンをPUSHするだけで迷わずに、とあるメーカーの「炭酸水」がすぐに届くAmazon Dashボタンを頼んだのだ(ちなみにAmazon Dashボタン自体は500円ほどする)。

家にAmazon Dashボタンが届き、冷蔵庫に貼り付けた。Amazon Dashのボタン上には、当然のことながら、その商品のロゴ(筆者の場合は、ウィルキンソンの赤いロゴ)が表示されている。

それをみてハタと気づいたのだ。なんだ、Amazon Dashって最新かつ最善の広告フォーマットの2016年12月Versionではないか、と。

冒頭の私の指摘に戻ろう。

有料アプリを買い、金を払ってまで、「お前の顔なんか見たくねーよ、バーカ!」と思われている広告がある。かたや、お金を払いわざわざ注文をしてまで、消費者が喜々として、炭酸水の生産者である企業にとって需要の最前線である冷蔵庫の上に貼り付けられる広告もある。

この絶望的なまでに埋めがたい差は、何がもたらしているのだろうか。

Amazon Dashのユーザーエクスペリエンスは、難しいターゲティング広告とは違い、小学生はおろか、おそらくチンパンジーでも理解し、注文することが可能なくらいにシンプルだ。

「炭酸水が飲みたいという欲求があり、そこにその欲望を満たす商品が不足した状況があり、ボタンを押せば欲求が満たされる」

ただそれだけである。消費者の欲求が知覚され、需要が認識され、欲求を満たそうとする行動の文脈にかぎりなくフィットし、埋め込まれている。これこそが2017年以降に求められる広告の最善のあり方なのだ。

筆者は、冒頭で「オーケー、認めよう。広告はもはや『嫌われもの』なのだ」と書いた。では広告業界人は、どうすればいいのだろうか。そして、広告はどのように変わるべきなのだろうか。筆者の考える現時点での結論はこうだ。

これからの広告は、欲望を喚起させるのでなく、欲望を充足させるものになるべきだ。そして欲望は、広告が一方的に作り出すのでなく、消費者が主体的に感じるべきものだ。

そして熱狂は、満たされなかった欲望、抑圧が解放されるときに、消費者が結果として感じるべきものであり、広告業界が一方的に熱狂を創り出せると思っているのなら、それは大きな勘違いなのだ。

LINE 上級執行役員 コーポレートビジネス担当
田端信太郎 氏

1975年生まれ。リクルートにて、フリーマガジン「R25」の立上げを行い、創刊後は、広告責任者を務める。その後、ライブドアにて、ライブドアニュースの責任者を経て、執行役員メディア事業部長に。2010年にはコンデネット・ジェーピーにて、カントリーマネージャーに就任。2012年NHNJapan(2013年LINEに商号変更)執行役員に就任。広告事業部門を統括。2014年LINE上級執行役員法人ビジネス担当に就任。

 

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