全日本広告連盟が発表した第5回「全広連日本宣伝賞」では、江崎グリコ 代表取締役社長 江崎勝久氏が「松下賞」を受賞。広告を通じたロングセラー商品の価値向上に貢献してきたことや、大阪広告協会の理事長として地域広告界に貢献したことなどが評価された。大阪の風景としてもなじみ深い江崎グリコの看板広告「グリコサイン」は大阪の観光価値向上にも貢献している。
そんな江崎氏の経営トップという立場からみた、「広告」の本質的な役割と、未来に向けたあり方について、『宣伝担当者バイブル』(宣伝会議発行)の著者である玉井博久氏(江崎グリコ)とともに、話を聞いた。
みんな独学で広告宣伝を学び
ほぼ社内で企画・制作をしてきた
—江崎グリコ(以下グリコ)の歴史のなかで、「広告」はどのような存在であると考えていますか。
江崎:グリコの歴史はまさに広告そのもの。グリコの歴史は製品開発の歴史であり、それは平たく言えば、広告宣伝の歴史と言えると思います。
創業者の江崎利一が、他社との差別化というコンセプトから創製したのが、グリコーゲンを加えた栄養菓子の『グリコ』でした。そして、それを売り出すために企画したのが広告宣伝。当時はマーケティングなんて言葉はなく、後付けになりますが、やっていることはまさにそのセオリー通り。江崎利一はきちんと戦略的に考えていたのではないかと思います。
ですからグリコでは、昔から一番大事な仕事は広告宣伝だと言われてきました。まずはそれを勉強しろと。私も入社してから、営業、開発を経て、広告を経験しました。
当時の広告部のメンバー構成は、テレビのコマーシャルや新聞原稿の制作担当、広告出稿の担当、看板やテレビ番組等の担当、さらにパッケージのデザイン担当がいました。
コピーはシンプルな方がいい。パッケージは目立たなくてはいけない。そんなことをみんな独学で学び、ほぼすべて社内で企画・制作をしていました。販促まで含めた広い意味での広告活動ができないと、グリコの広告部では役に立たなかったですね。
社内に「グリコらしさ」をディレクションできる人が必要
江崎:外部に顧問を置くようになったのは戦後のこと。川崎民昌さんにアーモンドグリコのパッケージデザインをお願いし、そのままずっと広告パッケージデザインの顧問もお願いしていました。またコマーシャルに関しては並河亮さんに顧問をお願いしていました。川崎さんや並河さんが携わってくださっていたから、その人のカラーがあり、「グリコらしさ」が自然とつくられていました。
それも時代の流れとともに古くなり、変えなければならない時が来る。そんなとき、社内にその「グリコらしさ」をディレクションできる人、それはデザイナーでなくてもいいのだけれど、現在の玉井君のような、広告を知る人間がいることが大変重要なのです。
これはグリコの伝統でもありますが、誰もが広告的なマインドを持ちながら、肝心なところでディレクションできる、良し悪しを見分けられる、そんな役割を担ってほしい。これは理屈ではなく、商品を売る基本ですから。広告は商品を売る基本である。だから開発の人間も広告のことを知らなければならないのです。
—社外のクリエイター、パートナー企業に対して、期待する役割とはなんですか。
江崎:コピーライターもデザイナーも、生活実感を持たないといけない。少なくとも、自分の世界のなかで実感を持たないと、商品のコピーもデザインも考えられないと思います。もちろん、それを超えた面白い表現、発想をできるのは、優秀なクリエイターだと思いますが。
また、あくまでグリコの商品を売ることを考えてほしいですね。コマーシャルがヒットすることが目的ではないのだから、商品起点で考えるのが当然。何の広告かが分からないというのが、一番しょうもない。そこに高いお金を投資する意味はない、と思ってしまいます。