広告は嫌われている、という錯覚について

広告は嫌われてさえいない

広告は嫌われている。という議論を最近よく目にします。そのたびに「えーっ?ちょっと違うと思うんだけど」と感じていた人は多いと思います。私もそのひとりです。

そしたら2週間ほど前、このアドタイに田端信太郎さんの「オーケー、認めよう。広告はもはや『嫌われもの』なのだ。」と題した文章が載って、これはまた勇気があるタイトルのつけ方だなあと感心しつつ、広告が嫌われている件についてだったので「えー?かなーり、違うと思うんだけど」と反論したくなりました。別に個人的に恨みがあるわけでもなんでもないんですけどね。

それで広告が嫌われている、という命題についてですが、私はこの意見は、間違いだと思います。広告は嫌われてさえいない。それ以下です。広告は「どうでもいい」と思われている。その方が正確だと思います。

好かれてもいないけど、嫌われてさえない。いてもいいし必要らしいことは知ってるけど、いなくなってもおれは困らないね。その程度の存在です。そんな分野です。「嫌われてる?おこがましいわ!」そう吐き捨てるように言われるのが広告です。それでいいんです。

「いや、そんなことない!広告は嫌われてる!」そう主張し続けるなら、オーケー、そこは認めましょう。ただし、「最近のネット広告は」とか「モバイルサイトの広告は」とか、何らか但し書きつけて言ってもらいたいわけです。そう思っていたら、こないだの田端さんの記事には「はてブ」が600も付いてて、はてな民の皆さんがすでに同じようなことを指摘してくれていました。嫌われてるのは広告というより、表示方法じゃないかと。

テレビCMとか、新聞広告とか、駅貼りポスターとかは、どうでもいいと思われて来たけど、嫌われてはなかったよね、いまのネット広告みたいに。それが言いたかったわけです。すみません、長らく広告をつくって来たんで、言いたくなりました。いや、そういったことはすでにこの連載でも書いています。

→ネット広告はもう一度広告にならなければいけない

 

まさにスマホの小さな画面にスキあらばと、所狭しに表示される広告や、記事を読もうとしたら見出しや写真に覆いかぶさってくる動画広告。もう本当にうんざりするし、こういうのは大嫌いです。でも、それで「広告が嫌われてる」というのは変です。出し方、表示のやり方が不愉快極まりないので、広告そのものは相変わらずどうでもいい。強いて言えば、どうでもいいものを強引に見せるから嫌われてしまうわけです。

そのあと田端さんの論への、私の疑問はより深みに降りていきます。

次ページ 「昔から広告はコミュニケーションに負けていた」へ続く

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境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)
境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)

1962年福岡市生まれ。1987年東京大学卒業後、広告会社I&S(現I&SBBDO)に入社しコピーライターに。その後、フリーランスとして活動したあとロボット、ビデオプロモーションに勤務。2013年から再びフリーランスに。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」を発刊し、テレビとネットの最新情報を配信している。著書『拡張するテレビ ― 広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』 株式会社エム・データ顧問研究員。

境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)

1962年福岡市生まれ。1987年東京大学卒業後、広告会社I&S(現I&SBBDO)に入社しコピーライターに。その後、フリーランスとして活動したあとロボット、ビデオプロモーションに勤務。2013年から再びフリーランスに。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」を発刊し、テレビとネットの最新情報を配信している。著書『拡張するテレビ ― 広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』 株式会社エム・データ顧問研究員。

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