広告は嫌われている、という錯覚について

昔から広告はコミュニケーションに負けていた

「企業の都合から伝えたい内容を一方向的に投げかける広告が、親しい友人や恋人との双方向的なコミュニケーション以上に力を持つことはあり得ない」

いやこれも、前々からそうですよね。新しい話ではない。80年代の米国のドラマを見ると、ティーンエイジャーが部屋に電話機を丸ごと持って来てベッドの上で友だちと延々おしゃべりしていました。90年代の女子高生はポケベルで不思議な数字をやりとりして高度な会話をしてたもんです。広告もテレビも映画も、勝負を挑むまでもなくかないませんでした。

最近、メディア接触調査をするとスマホの接触時間がものすごく伸びてるじゃないですか。そしてメディア接触時間全体が長くなっている。スマホが出てきて、前より人はメディアに長く接するようになった、ということになっています。

でもそれこそ、人びとはスマホでLINEやFacebookを駆使して友だちとコミュニケーションしているわけです。昔はそれ、電話でやってたんです。そして電話は「メディア接触調査」の対象じゃなかった。もちろんスマホになって前よりもコミュニケーションに時間を注げるようになったでしょうけど、あんまり変わってないとも言えませんかね?もし昔のメディア調査に電話を入れていたら、井戸端会議なんかも入れてたとしたら、女性たちのおしゃべりツールが変わっただけかもしれない。それがメディア調査に反映されてなかっただけかも。

田端さんは、広告は嫌われてるけどコミュニケーションは嫌われてないと言いたいんだと思いますし、そうすると「LINEじゃん?」と言いたいのでしょうけど、LINEの中でも、ユーザー同士のコミュニケーションと企業の広告は戦って、企業はあっさり負けます。

私はLINEで企業や商品のアカウントを加えていますけど、結局全部、非通知にしています。うるさいんですよ、ポンポン鳴ったり、記事を読んでたら通知が降りてくると。全部、通知オンにしていると妻からの「牛乳買って来てくれる?」を見落として夫婦関係が気まずくなったりするんで、企業の通知は消したわけです。

そう、親しい人とのコミュニケーションがもっとも価値がある。それは「コミュニケーションツール」の中でも同じなんですよ。かくして、どうでもいい存在である広告はいつの世もどこに行っても、うざがられながら居場所を探して漂うわけです。

それでね、田端さんの文章でもっと突っ込みたくなったのが2ページ目なんです。まず、「Amazon Dash は広告かもしれない」との論を展開します。その流れで、以下のようなことを書いています。ここがこの記事のキモなんでしょうね。

「これからの広告は、欲望を喚起させるのでなく、欲望を充足させるものになるべきだ。そして欲望は、広告が一方的に作り出すのでなく、消費者が主体的に感じるべきものだ」

Amazon Dashも広告ととらえよう、の後にこの文章が「結論!」「大事なこと」って感じでドドーンと登場します。

なるほどー!と感心した人も多いようですが、いよいよ疑問に感じた人も多いんじゃないでしょうか。

次ページ 「ネットは欲望を喚起します!と言ってほしい」へ続く

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境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)
境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)

1962年福岡市生まれ。1987年東京大学卒業後、広告会社I&S(現I&SBBDO)に入社しコピーライターに。その後、フリーランスとして活動したあとロボット、ビデオプロモーションに勤務。2013年から再びフリーランスに。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」を発刊し、テレビとネットの最新情報を配信している。著書『拡張するテレビ ― 広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』 株式会社エム・データ顧問研究員。

境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)

1962年福岡市生まれ。1987年東京大学卒業後、広告会社I&S(現I&SBBDO)に入社しコピーライターに。その後、フリーランスとして活動したあとロボット、ビデオプロモーションに勤務。2013年から再びフリーランスに。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」を発刊し、テレビとネットの最新情報を配信している。著書『拡張するテレビ ― 広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』 株式会社エム・データ顧問研究員。

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