イエローマジックオーケストラ、名前の由来は?
細野:そういうこと。だから、いつも外からの刺激で変わっていくことが多いですね。
澤本:当時、細野さんたちより早くコンピュータ音楽に注目した人はいるんですかね?
細野:少し前に亡くなっちゃいましたけど、冨田勲さんですね。
澤本:あ、『新日本紀行』の音楽をつくった方。
細野:冨田さんがドビュッシーの『月の光』というアルバムをつくったんですよ。それを聞いたら緻密な創り方で、なんと素晴らしい世界なんだろうと思って。その存在は大きかったですね。『月の光』を一緒につくっていた、マニピュレーター(注:電子楽器や打ち込みサウンドを演奏の中に取り入れる人)の方を見つけ出して、僕も一緒にアルバムを創り出したんです。
それが横尾忠則さんと一緒につくったアルバム『COCHIN MOON (コチンの月)』。同時に坂本龍一くんも松武秀樹さんというマニピュレーターと接見していたから、一緒に松武さんも引っ張り込んでYMOをやったんです。
澤本:じゃあ、マニピュレーター繋がりということですか?
細野:そうなんです。もとは冨田さんです。
澤本:イエローマジックオーケストラという名前が変わってるじゃないですか。あれはなんでイエローで、マジックで、オーケストラなんですか?
細野:突然、レコード会社から「何かやれ。記者会見があるから発表しろ」と言われて。レコード会社とプロデュース契約をしていたので、何かやらなければいけないのは確かなんだけど、何も決まってなくて。
澤本:ノーアイデアだったんですね。
細野:そう。それで咄嗟にマイクの前に立って、イエローマジックオーケストラというのをやりますと言ったんです。
澤本:急に言っちゃったということ?
細野:急に言っちゃった。イエローマジックというのは自分のソロで『イエロー・マジック・カーニバル』という曲をつくってたので、ブラックマジックしかないんだったらつまらないから、イエローマジックというのがあるんだよと。そういうことで言っちゃったんだろうね。メンバーも何も決まってなかったけど。
権八:みなさんで記者会見したんじゃなくて。
細野:1人で。そこで言っちゃったからメンバーを引っ張ってきたんです。
澤本:中日の落合さんも、言っちゃってから自分を追い立てるというタイプだったんですけど、細野さんもそうなんですね。
細野:何でも言っちゃうんですよ。言っちゃって、できないことも多いんですけど、とりあえず頼まれたら何でもやるよというのが、癖のようなものなんです。
<後編につづく>
構成・文:廣田喜昭
【修正履歴】
2017/06/14 本文の一部に誤りがあったため、『シルクロード』を『新日本紀行』に修正いたしました。