祖父はタイタニック号に乗っていた唯一の日本人だった!(ゲスト:細野晴臣さん)【後編】

【前回コラム】「音楽の全てはラジオから教わった(ゲスト:細野晴臣さん)【前編】」はこちら

ゲストは先週に引き続き、音楽家の細野晴臣さん。おじいさまの歴史的逸話から、最近の注目のアーティストまで、さまざまな話が飛び出しました。

今回の登場人物紹介

左から、澤本嘉光(すぐおわパーソナリティ)、細野晴臣、中村洋基(すぐおわレギュラーゲスト)、権八成裕(すぐおわパーソナリティ)。

※本記事は4月29日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。

YMOも3年で辞めようと思っていた?

澤本:これまでのお話からするとYMOも実は途中でどこかで飽きてらっしゃったということですか?

細野:飽きたというか、疲れたというかね(笑)。パチンコ屋から『ライディーン』が鳴るという状況を予想してなかったんだよ。

澤本:街の中がそんな風になってると。

細野:そんなこと予想もしてなかった。

中村:パチンコ屋もそうですが、私は今37歳ですけど、全国の小学校のかけっこが『ライディーン』でしたよ。何だかわからないけど、日本中全員が知ってるという。

細野:当時、そう言われました。街を歩いていると小学生が後をついてくるから、野球選手みたいな気持ちですよね。街を歩けない状況があって、指さされたりして。

澤本:有名になって、ということですよね。

細野:そうですね。何度かTVに出ただけなんですよ。それで子どもたちに顔を知られて。自分にはそういう状況が向いてなかったんですね。僕は自由に暮らしたいので。

澤本:顔を知られたくない。

細野:そう。最初はYMOって匿名でやろうと思ったの。音楽があれば誰が入ってもいいと。でも、日本はキャラクターを引っ張り出されちゃうというか、3人で引っ張りやすかったのか、いろいろなことをやらされてね。面白いことをやったり。

澤本:途中、『君に、胸キュン』あたりからから歌が入りましたよね? あれは飽きたからちょっと歌を入れようかみたいなことなんですか?

細野:だいたい3年やると飽きるんですよ(笑)。

澤本:早いですね(笑)。

細野:わりとピュアにやってるんで、やり尽くしちゃうんですよね。計算できないし、これを持続してどうのという計画もないので。やり尽くしちゃうということは、つまり飽きる。でも、さすがにYMOは辞められなかったね。みんなに羽交い絞めにされたというか(笑)、もうちょっとやってくれと言われて。気持ちはもう辞めたんですけど。

権八:気持ちは辞めた(笑)。

細野:3年ぐらい引きずってやってたんですよ。

澤本:じゃあ3+3で6年ぐらいやったんですね。

中村:それでも僕らのイメージよりは短いですね。

細野:残りの3年はもうアフターサービスだからと。世の中にサービスするつもりでやってました。同時に僕は歌謡曲やアイドルに曲を書きはじめたので、それと一緒になっちゃって。

権八:「イモ欽トリオ」などですか?

細野:そうですね。

権八:僕らは子どもの頃に夢中で真似してましたけど。

澤本:一般の歌謡曲を書いてくれと最初に来たのは松田聖子ですか?

細野:全部、松本隆の策略というか、ハメられたんです(笑)。最初に引っ張り込まれたのは大瀧詠一なんですよ。「松田聖子さんのアルバムでやってくれ」と言われて、最初はアルバムでしたが、その曲がシングルっぽかったのか、次はシングルになって。松本くんに言わせると、はっぴいえんどの後、自分は作詞家として腕を上げてきて、大瀧くんも『A LONG VACATION』という良いアルバムをつくったと。

澤本:大好きです、僕。

細野:僕はYMOで、「3人揃ったから、はっぴいえんどの後の仕事はこれなんだ」と。松本くんはそういう気持ちでやってたみたいですね。

澤本:じゃあ、松本さんがお書きになった詞があって曲をつけたという感じですか?

次ページ 「自分の中から出てくる音楽は「小学唱歌」だった」へ続く

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