祖父はタイタニック号に乗っていた唯一の日本人だった!
中村:澤本さんは最近、細野さんと森ビルのラジオCMを一緒につくったと。
澤本:つくっていただきました。ずっと細野さんから「楽にできる仕事があったら声をかけてくれ」と(笑)。音楽を1分ぐらい流して、森ビルというものをよく思ってもらうようなものをつくりたいという話になって、「誰かちゃんとした音楽家でつくってくれる人いませんか?」と言われたから、これは細野さんだと思って。それで「細野さんだったらぜひ」ということで・・・今回は特殊な成り立ちです。
権八:細野さんが曲を書き下ろすということですか?
細野:そうそう。
中村:澤本さんとこんなに仲が良いというのは全然知らなくて、お知り合いになってから対談もしてますよね?
澤本:対談というか、お願いして、させていただいて。毎回、話を聞いてる途中で時間になっちゃうの。面白すぎて。
中村:どのようなことをお話されるんですか?
澤本:これ聞いていいですかね。最初にタイタニックの話をうかがったと思うんですけど、おじいちゃんがタイタニック号に乗ってらっしゃったという話。
権八:え!? すごいですよね、その事実は。
細野:いやぁ、苦労しましたよ。ジェームズ・キャメロンが映画『タイタニック』をつくったときにタイタニック財団がアメリカから僕のところにやってきて、根掘り葉掘り調べられました。でも、ちゃんと調べてくれたので、当時の様子がよくわかったんです。それまではよく知らなかったので。
澤本:そのとき、おじいさまはイギリスにいらっしゃったということなんですか?
細野:最初はロシアに留学して、シベリア鉄道に関与してたんだね。まだ30歳そこそこだと思うんですけど、1、2年後、日本に帰るときにアメリカに寄って帰ろうと。そのとき、ロンドンの知り合いがタイタニックのチケットを買ってくれたんだって。「これは処女航海で素晴らしい船だから乗れ」と言われて、ロンドンに行って、友達からチケットをもらって、それで乗ったんですよ。楽な旅を想像してたでしょうけど、沈んじゃったから大変ですよね。
中村:すごいことですね。
澤本:日本人であの船に乗ってらっしゃって、生存された方はお1人なんですか。
細野:乗客で日本人は1人。船内で日記を書いていて、助かったときに助かった状況も書かれていて。昭和30年代にそれが出てきて、話題になってね。その後、ジェームズ・キャメロンの映画で財団が来て、細かく調査して、助かった状況を知らせてくれたの。そしたら、最後の最後のボートがガラガラでそれに飛び乗ったと。
澤本:映画みたいに満員のもあったし、ガラガラのもあったと。
細野:最後の最後だったので、人がまばらだったんだろうね。あきらめてたけど、「乗れるよ」と声がかかって、下がりつつあるボートに飛び降りたらしい。船ではピストルを持った船員が乱暴者を撃ったりしてたんだって。
澤本:暴れている人を撃っていたということですか?
細野:危ない行動をすると撃たれちゃうと。
中村:すごいですね。映画よりも奇なりというか。
細野:それでボートに乗ったらほとんどが女性で、1人アルメニア人がいて、一緒にボートを漕いだと。そのアルメニア人もヒゲを生やしていて、うちの祖父もヒゲを生やしていたから、アルメニア人と間違えられたと。そんなこともいろいろわかってきてね。