「パナソニック宣伝100年の軌跡」(3)時代を切り拓く創意工夫 — 空調の広告篇

【前回記事】「「パナソニック宣伝100年の軌跡」(2)製品のパワーを実証する広告-電池の広告篇」はこちら

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2018年に創業100周年を迎える、パナソニック流の宣伝に迫る対談、第3回は「空調の広告」篇です。同社が発売してきた空調機器はエアコンや暖房器具、空気清浄機など、多岐にわたります。そして機能や性能の進化に伴い、様々な切り口で、その特性を発信し、新たな需要を創造してきました。今回はエアコン「エオリア」のCMに出演した女優・石田ひかりさんと、長年同社の空調の広告を制作してきた元博報堂・小森秋雄さんの対談です。

左)石田ひかりさん 右)小森秋雄さん

撮影現場に工場長も。製・販・宣は一体

-冷房専用のホームクーラー「樹氷」や、冷暖房両用のエアコン「楽園」が登場した高度経済成長期、エアコンは豊かさや憧れの象徴でした。1988年「エオリア」を発売し、90年代に入るとエアコンの普及率は70%まで上昇(※)。パナソニックの重要事業として成長してきました。

エアコンが家庭に浸透してきた市場の成熟期に、宣伝に携わってこられたのが、小森さんと石田さんです。

※内閣府「消費動向調査」エアコン普及率の推移(二人以上の世帯)より

石田:楽園、懐かしいです。印象的な製品だったので記憶に残っています。

01. 1995年 テレビCM「ひかりの記者①生産ライン篇」
02. 1993年 テレビCM「イルカのちいサイズ」

小森:私が空調の広告を担当することになったのは、70年代後半からでした。当時からパナソニックの広告は秀逸な作品が多く、自分も制作に参加できると分かったときはうれしかったですね。

石田:出演させていただいたエオリアのCMのコピーは「ちいサイズで、でか暖房」でしたよね。

小森:エオリアのCMをつくったときは、いかに機能を訴求して、差異化していくかがポイントでした。エオリアはコンプレッサーを小型化し室外機が小さいので、省スペースを実現でき、音や振動も小さいのが特性です。石田さんに出演してもらったCMも、小さくてフレッシュで元気がいいという、製品からの連想だったわけです。

石田:20歳そこそこで撮影に臨み、すごく緊張しました。現場には人がたくさんいらして、誰が何をしている人なのかさっぱり分からず、あたふたしていました。

小森:パナソニックのCM撮影には宣伝担当の方だけでなく、工場でエアコンの製品開発にあたっていた方も立ち会われるので、人数が多いんです。同時に製造について直接話が聞ける貴重な場でもありました。現場にいらっしゃる宣伝担当の方も、みな広告のプロフェッショナルで、制作者である私たちと同じサイドの人ということを常に感じていました。

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石田ひかり(女優)
1972年東京都生まれ。91年、『ふたり』で映画デビュー。以降、連続テレビ小説『ひらり』や映画『アドレナリンドライブ』などドラマや映画に数多く出演。エアコン「エオリア」のCMに出演した。

石田:仲間のような関係ですか。

小森:そうです。制作が長時間にわたっても、最後まで一緒につき合ってくれる非常に珍しいクライアントでした。

-石田さんは約5年の長期に及び広告に出演され、ブランドの顔になりました。1993年にオンエアされた「宣伝会議篇」をはじめ、様々な作品が制作されましたね。

小森:「生産ライン篇」では、エオリアをつくる滋賀県の草津工場でロケをし、工場長もCMに出演いただきました。というのもパナソニックの宣伝担当の方が「工場長にも出てもらおう」とアイデアを出されたから。制作過程で刺激をもらえるのが、パナソニックにおける広告の仕事の面白さでしたね。

石田:工場長さんが、気さくで優しい方だったのを思い出しました。ほかにも「ちいサイズ」をアピールするCMでは、いろいろな役を演じさせてもらいました。

小森:「生産ライン篇」と同じく、周防正行監督がメガホンをとった「経済記者篇」では、石田さんが扮する記者の名刺までつくりました。「日本空調経済新聞」という架空の新聞社名を考えて。

石田:細かな部分までこだわって広告をつくっていますよね。

次ページ 「売り場に室外機を展示。機能を伝える創意工夫」へ続く

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