三者三様のラジオの楽しみ方
嶋:広告賞は、広告制作者の皆さんが選ぶ賞が多いんですけど、このACCのラジオCM部門はそうではありません。前任の審査委員長である電通の澤本嘉光さんがとてもいい座組をつくってくれたと思っています。それは広告制作者だけではなくてラジオ番組の制作者や、小宮山さんみたいなラジオパーソナリティをしている方など、「ラジオが大好きでしょうがない!」と言う西田さんのような方だったり、そういうラジオ好きに集まっていただいて審査をする。今日、お二人をお呼びしたのは、そんなラジオ好きとしてラジオCMの可能性を語ってもらおうと思って。
西田:僕は「ラジオで頼まれた仕事は断らない!」と、ずっと昔から決めていましたので、今回喜んで引き受けました。
嶋:「BRUTUS」でもラジオ特集を2回もやりましたよね?
西田:やりました。僕みたいな1960年代前半に生まれた人間は、小学校高学年になるぐらいで子ども部屋がもらえるくらいに親が豊かになっていた。でも部屋にテレビもないし電話の子機もない、それで部屋にこもって何をするかって言うと、雑誌を読むかラジオを聴くかしかなかったんです。
同じ時間に笑ったり、怒ったりしてる、生きている人間を感じられるのはラジオだけだったので、とにかくラジオを聴き続けてました。 月曜日から日曜日まで自分の聴くラジオの編成をつくって、例えばある曜日ではNHKの「サウンドストリート」から入って、TBSの「夜はともだち」に逃げ、TOKYO FMの「マンハッタン・オプ」を聴いてから、最後は…みたいな形で、楽しみを決めていました。
それで土曜日は、NHKではかま満緒の「日曜喫茶室」を聴き、TOKYO FMの「コーセー歌謡ベストテン」を聴き、そのあと外に遊びに行くみたいな。それと…あ、大丈夫ですか?このままだと1時間ぐらい喋りますけど。
小宮山:対談の時間が終わってしまいますよ(笑)。
西田:では、もう1つだけ…(笑)。
1992年から2013年まで続いたTOKYO FMの土曜日5時からの「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー・アヴァンティ」という番組があって、僕の恩師のホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫さんがしていたんだけど、それに喋り手、聴き手として僕も出してもらっていて、初対面の人と毎回10分ぐらいとっておきのエピソードを喋るといったことをしていました。
ですので、もし自分の喋りでチャーミングなところがあるとすれば、ほとんどそれはラジオから学んでいるというところがありまして、ラジオにはいくらでも恩義は返したい。以上でございます。
嶋:ありがとうございます(笑)。僕も70年代からラジオを聴きはじめました。当時の番組のジングルとか今でも覚えています。特に時報広告とかね。文化放送は、スジャータの時報広告でしたね。
西田:ああ、あの「スジャータ♪スジャータ♪」。
嶋:よく覚えていますね。僕はハガキ職人だったんですけど、そういうことはされなかったんですか?
西田:僕は自分から出そうとはしなかったですね、自信がなかったんじゃないかな?あと、つくり込んでいる番組の方が好きだったというのもありますね。
TBSの「夜のミステリー」のときなんかは布団に入って暗くして自分で演出して聴いていた。もちろん全裸でね…。
小宮山:すごいですね(笑)。