面白くない作品は一つもない
この見出しのフレーズは、僕が執筆した編集者の心得本『面白ければなんでもあり』から引用しました。つまらない話をつくろうと思って小説を書く作家はいません。漫画家もそうですし、脚本家も、映画監督だって同じです。話をつくる人間が、「誰かに読んでもらいたい」「観てもらいたい」と考え、世に出そうとした時点で少なくともその本人自身は必ず「面白い」と感じています。だからこそ、世に出そうとアクションを行ったはずです。
そして、その作品を読んだ担当編集や担当プロデューサーも、「面白い」と思ったから世に出ているはずです。つまり、いま僕たちが触れているエンターテインメントコンテンツは、最低でも2人以上の人間があらかじめ「面白い」と感じた結果、発売されています。
自分たちが考えている以上に、世界は多様です。さまざまな趣味嗜好を持つ読者のなかから、その作品を「面白い」と言ってくれる人が必ず出てくるでしょう。自分が「面白い」と思ったから発売までして世に問うたわけで、結果それに同調してくれる人たちがいた、という「認識共有」ができたのです。もちろん「つまらない」と言う読者だっているかもしれません。しかし、「認識共有」という定義においては、その意見は重要ではありません。そう考えれば、世の中には「面白い作品」だけがあふれていると言えます。
ではなぜそれらの作品に「売れる/売れない」の差が出るのでしょうか。僕の専門分野であるライトノベルを例にして表すなら、それは文章力の差でしょうか? キャラクター描写の違いでしょうか? パッケージイラストの美しさでしょうか?
僕は、どれも正解ではないと思っています。もちろん、「つまらない」と感じた人の数でもありません。そして、「面白い」と感じた人の数でもないのです。「売れる/売れない」は、「その作品に触れた人の数」で決まります。より正確に言うと、「作品が読者の判断機会に恵まれたかどうか」で決まります。
作品評価には、「面白い」「つまらない」だけでなく「どっちでもいい」「とりあえず買った」「あとで読む」というものもあり、むしろそれが大多数かもしれません。後者の2つに至っては読んでもいない可能性がありますが、それでも評価は評価です。
たくさんの人に知ってもらい、たくさんの人に手にとってもらい、たくさんの人に「面白い」「つまらない」「どっちでもいい」「興味がないけど買っておいた」等々、多種多様な意見が交わされている状態が「売れる」ことだと僕は考えています。この状況になっていれば、確実に結果(売上の数字)も出ているからです。
つまり編集者は、自分が「面白い」と感じて世に出した作品へ、その判断機会をいかに多く与えるかを考えなければなりません。それを人よりうまく行える人物が、未来まで生き残る編集者であると思っています。作家がベストを尽くしてつくり上げた渾身の作品を、より多くの読者に広く知ってもらうためにはどうすればいいか。
その方策を練るのが、作家をサポートする編集者の仕事です。作家から届いた原稿を読むとき、僕は常に「勝負ポイント」というものを意識しています。
「勝負ポイント」とは何か。たとえば文庫一冊を一本の映画だとします。そして、あなたはその映画の宣伝担当です。映画のシーンを組み合わせて15秒のプロモーションビデオ(つまり予告編)をつくることになりました。さて、あなたなら、どこをどのように切り出して映像を完成させますか?──こう聞かれたときにピックアップするシーンが「勝負ポイント」です。
……「勝負ポイントの見い出し方」「勝負ポイントの具体例」など、続きは『編集会議』2017年春号をご覧ください。