バズるために「らしさ」を犠牲にしていないか
近畿大学のバズ施策には、常に施策の軸として、大阪の大学としての「面白い大学」という「近畿大学らしさ」があります。
「早慶近」という新聞広告においても、あくまで発言しているのは近畿大学の一つのシンボルでもあるマグロであり、「さすがに”早慶近”て、言いだした自分でもアホくさくて、笑てまうわ」という自虐的な発言も挿入していたり、早慶近は「早々に慶びが近づきますように」の頭文字であるというネタも提示しています。
しかし、今回の宮城県のPR動画は、騒動によってバイアスがかかっていることを差し引いても、どうしても出演者の壇蜜さんによる表現が強調されていて、この動画のそもそものテーマであるはずの宮城県の魅力があまり記憶に残らない印象です。
言葉を選ばずに言えば、動画をバズらせるために「宮城らしさ」を犠牲にしていると言えるでしょう。
テレビCMと異なりネット動画で、こういう「らしさ」を犠牲にする選択が行われがちな背景には、テレビCMは基本的にお金で露出枠を買うことが大前提なのに対し、ネット動画はお金がなくてもバズれば、認知される安い広告手段として認識されている点があげられると思います。
テレビCMのメッセージは企業が伝えたい内容に特化し、それを購入した広告枠に露出することで、視聴者に認知してもらうという思考回路だったと思います。あくまでお金を払った分ほど表示されるので、その内容をバズらせるために過激にする必要はないわけです。
しかし、ネット動画においては動画をつくることに全ての予算を投下してしまい、広告枠に予算がまわらないケースが多く見られます。広告予算がなければ本来は多くの人に見てもらえないのは当然のはずですが、数々の成功事例に影響されて、低予算の動画でも大勢に見てもらうことを多くの企業が目指すわけです。
そうすると当然、そのネット動画が多く露出されるためには「バズる」ことが必須になります。従来のテレビCMのような、企業が伝えたい内容だけでネット動画をつくると、視聴者からはつまらない動画になってしまい、バズらない動画になることが多いでしょう。そこで、過激な表現や性的な表現に走りやすいと言えます。
本来、バズることを目指す企画と、“炎上上等”という企画は、意味が全く違い、企業が炎上狙いの企画をする意味はない、とスケダチの高広伯彦さんもブログで指摘していました。
ただ結果的に、視聴者視点で見ると、最初から炎上狙いのように見えるネット動画が後をたたないのは、こうした低予算で大勢の人に見せたいというネット動画の背景があるように感じます。
イベントのセッションでも、テレビCMにおいては予算がないと露出が取れないことを言い訳にできたが、デジタル時代では予算がない会社も創意工夫で近畿大学のようなバズることで露出が取れる可能性があるため、できないことを言い訳にしにくくなっているという議論がされていました。
テレビCMの露出数は予算と比例して決まるのに対して、ネット動画の再生数はバズるかどうかによって大きく左右されます。そうすると、再生数を指標にしている限り、企業の担当者が「らしさ」を犠牲にしてでも、バズることで再生数を狙いに行く、宮城県のような事例が出てくるのは、ネット動画におけるジレンマと言うことができてしまうかもしれません。
そこで、そんなジレンマを企業が克服するためにヒントとなる視点と感じたのが、「再生数より共感を意識する」という視点です。