姉・小春とアコーディオンの出会い
もも:本当にそんなつもり全くないんですけど。以前、ジャニーズのタッキー&翼さんにも楽曲をチャラン・ポ・ランタンで提供させていただいたんですけど、それも実は私が作詞をやりました。作曲は小春ちゃんなんですけど。
権八:『逃げ恥』はドラマの話が先にあって?
澤本:気になる。この曲の成り立ちはどういう感じだったの?
もも:ドラマをやると決まって、「そのオープニングを書いてくれないか?」という依頼がありました。漫画が原作なんですけど、漫画を読んで、そのための曲をつくったという感じですね。漫画に合わせて、セリフを読んで、これ入れようかなと考えながら。
権八:じゃあ、これはももちゃんの個人的な恋愛や彼氏のことが書いてあるわけじゃないんだ?作品に合わせて、アジャストしていって。
もも:そうですね。作品の中に私が入り込んでみたいな感じですね。主人公のみくりちゃんが25、26歳ぐらいで私と同世代なので、みくりちゃんになり切った感じで書きました。
澤本:世界観も合ってるしね。
権八:世界観と言えば、チャラン・ポ・ランタンのレトロなというか、シャンソン風、昭和のムード歌謡というか。淫靡な、場末というか。大道芸・・・。
澤本:どんどん下がってるよ(笑)。
権八:失礼しました(笑)。どうやってチャラン・ポ・ランタンが形成されていったのか、リスナーの方にもお伝えしたいですね。
もも:チャラン・ポ・ランタンのはじまりは、姉のアコーディオンの小春ちゃんが6歳か7歳のときにお母さんに連れていってもらったサーカスのアコーディオンに惚れまして、「あれが欲しい」と母に言って。母は「私は持ってないからサンタさんに頼んでみたら?」ということで、その年のサンタさんに頼んだのがきっかけで、小春ちゃんの元にアコーディオンが届くんです。
澤本:あ、サンタがくれたんだ。
もも:いい話っぽいですよね(笑)? そこから小春ちゃんは友達とたくさん遊ぶわけでもなしに閉じこもってたので、アコーディオンがどんどん上達しまして。姉はアコーディオンが好きとなったら、それしか好きじゃないという。それからはずーっとアコーディオンばかりを弾くようになりまして、毎年サンタさんにはもう少し大きいアコーディオンをお願いして。
澤本:アコーディオンを更新していったんだ。
もも:そうなんです。体とともにアコーディオンが成長していって。姉は本当に小さな頃から「私はアコーディオンで食べていく。友達もつくりたくない」と言っていました。
権八:そんなに?
もも:本当にそうなんですよ。
権八:マネージャーさんも「お姉ちゃんが目を見て話してくれない」と資料に書いてましたけど、そんなに? そうは見えないけどね。
もも:そうなんですよ。今はしゃべるんですけど、ああいう風になったのも、姉が16、17歳のときに大道芸ライセンスを取得しまして。
澤本:大道芸のライセンスがあるの?
もも:東京都ヘブンアーティストというライセンスなんですけど、それを取得すると、何時から何時までここを使っていいというのがあって。それから路上でアコーディオンを弾いたことがきっかけで、色々な人から仕事もらうようになりまして。その後は、小春ちゃんが「しゃべったほうが人が集まる」と気づき、だんだんとMCをするようになり、今のスタイルを築きあげていったんです。
中村:ももちゃんは?
もも:一方で、妹の私は遊びほうけていて、カラオケも行きまくって、当時流行っていたJポップやアイドルも聞いていました。お姉ちゃんはずっとジプシー音楽、民族系音楽、サーカス系音楽が好きで、それを貫き通した人でしたが、私はあややも好きでカラオケでよく歌っていました。
姉の音楽活動に興味はなかったんですけど、姉が二十歳のときに歯医者で親知らずを抜きまして、その治療があまりに長すぎたので、暇な時間に曲を考えてたんですって。それでも治療時間が続くので、そこで初めて作詞をしたと。その曲を誰に歌ってもらうというときに私に声がかかって。同じ部屋で暇そうだったからという理由で。「おまえ歌えんの?」「あぁ、うん」と返事したのがきっかけでチャラン・ポ・ランタンがはじまりました。
澤本:お姉さんは大道芸をやっていて、ももちゃんも最初はその横で歌ったということ?
もも:いえ、その頃にはライブハウスでも姉は演奏していて。大道芸人がメインで、定期的に小さなライブハウスでワンマンショーをやっていました。じつは最初から「姉妹ユニットです」と言ってたわけじゃなくて、小春ちゃんは私を妹と言いたくなかったのか、「空から降ってきたももちゃんです」と、本当に謎の設定で紹介されていました。
一同:(笑)