「肯定」よりも「受容」が大切。怖さも受け入れる“闘う哲学者”の生き方(ゲスト:村田諒太)【前編】

夢は地に足をつけながら見るもの

村田:僕の恩師の言葉を借りるならば、「努力したからといって報われるわけじゃない。でも、努力しなければ報われない」ということですね。この言葉に尽きると思います。結局、みんな努力しないといけないけど、報われることが約束されるものではありません。現実的に考えると、そんなものですよね。

権八:武元前川先生ですよね。

村田:そうです。『リングの言霊』という本に出てくる武元先生の言葉ですけど、スポーツの世界やみなさんがやってるクリエイティブの仕事は、どれだけ良いものをつくって、どれだけ努力して、どれだけ頑張っても、才能に負けるときもあれば、運に負けるときもあれば、コネに負けるときもある。それが現実ですよね。だから、頑張ればできるかというと、そんなことはないですね。

中村:じゃあどうするかというと、「受け入れる」と。

村田:受けて入れてやっていくしかないし、その中で自分が何をできるかを考えてやるしかありません。それが地に足をつけることだと思うので、夢を見ていたら地に足もつかずに頑張り方もわからなくなってしまいます。夢を見るのはいいけど、夢を見るというのは楽じゃない、厳しいものだよと。毎日、苦行のようなことをして叶うのが夢だという覚悟がなく夢を見るのはむしろマイナスだと思いますね。

澤本:それはいい言葉だね。夢を見るのは苦しいことだと。ただ夢だけ見ている人もいっぱいいますからね。

村田:いっぱいいます。「叶えるための努力もない夢は寝て見る夢」という感じで夢を捉えてる人が多いけど、そうじゃない。夢を叶えるための努力だったり、苦しさだったり、悲しさだったり、挫折があって。それを踏まえて夢。それがわかったうえで夢を語るんだったらいいですが、寝て見るような夢を語るようだったら、「お前寝てろ」という話ですね。

権八:僕は、村田さんの強さは「言葉」だと思います。日々のトレーニングだけでなく「言葉による鍛錬」から来てると思うんです。言葉によって、自分を鍛えて、物事を考える。NHKのドキュメンタリーを見たときも、サンドバッグを打つときに「こんな練習、何の意味があるんだ」と、あえて言葉に出して言ってみたり。

練習するのが当たり前ということにもいちいち引っ掛かって考えたりしますよね。それがアスリートとして独特だと感じます。人生観、自分の人生をどう捉えてらっしゃるかだと思いますが、村田選手が引用するのが『夜と霧』のフランクルですよ。昔から読書はされていたんですか?

村田:そんなこともないです。必要とすれば読むというだけであって。アドラーの言葉を借りるのであれば、「水辺に馬を連れていっても馬に無理矢理水を飲ますことはできない」と。でも、喉が渇けば水を飲むわけじゃないですか。僕もプロボクサーとしての生活にそういう心理の勉強が必要だからするわけです。

みんなもそういうのはあって、それを必要としてるかどうかだと思います。だから、今が楽しくて、人生をエンジョイしていて、小難しく考える必要はないという人にこんなことを言ったってしょうがないじゃないですか。必要になれば、自分で水を飲みに行くので。僕は今の生活において、そういう考え方が必要だから、そういう本を読むんです。ケンカばかりしていた中学生のときにフランクルやアドラーなどは間違っても読まないですよ(笑)。

権八:日々、本を読んだり、自問自答しながらトレーニングしているのがかっこいいんですよね。

澤本:求道者だよね。

中村:初めて来ていただいたのは金メダルのすぐ後だったと思いますが、まとってるオーラが全然違う印象ですね。

権八:前回来たときと。そうですかね。

中村:そのときは落ち着いてらっしゃいながらも、もう少しやってやるぜ!みたいな。今日は武士というか、求道者みたいな、高みの存在のイメージです。

<後編につづく>

構成・文:廣田喜昭

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