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広告やマーケティングの仕事をしている人のなかには、若い頃にミュージシャンや画家、作家を志した人が他の業界・職種より多い、という感覚があります。どちらも表現に関係する仕事ですし、それらの業界・職種では時にアーティストと仕事上の付き合いも発生するので、これは決して不思議なことではありません。
アイルランドの詩人でロバート・グレーヴスという人がいるのですが、自身で出版社を経営していた彼は、こんなことを言っています。作家になりたくて出版社に入る人は多いが、だとしても編集などをするより、事務だったり配送だったり、全く表現や創造に関係のない仕事をしたほうがいい。編集は、それはそれで高度に創造的な仕事なので、始めると表現や創造に対する欲求がそこで充足されてしまい、自らものを書くモチベーションがなくなってしまうのだ、と。
これは確かにあるな、と実感します。創造的でなくてはならないマーケターの端くれである筆者も、実は若い頃には無謀にもミュージシャンを目指したクチなのですが、今となっては楽器を手に取ることすらほぼありません。逆に学生の頃の音楽仲間で未だに音楽活動を続けている人は、一見表現や創造からはかけ離れた仕事をしていることが多いように思われます。これは表現に対する欲求を本職で充足して(しまって)いるかどうか、の違いなのかもしれません。
このことをもっと日常のレベルに敷衍して考えると、我々はこうした創造に対する欲求を、ソーシャルメディアで(無駄に)充足して(しまって)いるのかもしれません。Isntagramにアーティスティックな写真を投稿する。TwitterやFacebookにエッセーのような感想を綴る。そうすることによって、我々は自らのオーディエンスに対して自分を表現することができ、分かりやすい形で承認を得ることすら可能なのです。
多くの人は、ソーシャルメディアを、自己表現ではなくコミュニケーションの手段と位置付けていると考えますが、気のおけない些細な投稿でもリアクションが全く気にならない、という人は少ないでしょう。さすれば、どんな種類の投稿でも、そこには自己表現の要素と承認欲求が少なからず潜んでいます。