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まかりいでたのは「企画」と申す風来坊。この企画というのは、私たちの頭の中に誕生してから世に出るまで、時にとても数奇な運命をたどります。
- 自信満々で提案するも社内の反応がイマイチ
- イマイチだなと思い提案するも社内が大絶賛
- 自信満々で提案して社内も大絶賛
- イマイチだなと思い提案し社内の反応もイマイチ
筆者は「企画」に携わる仕事をかれこれ15年ほどやってきましたが、なぜか上記1から4の順番に企画はうまくいく確率が高くなる、という感覚をもっています。
ポイントは、みんなが大手を振って賛成するものは大体うまくいかない、ということなのですが、それには大きく二つ理由があります。先天的な問題と後天的な問題。生まれの問題と教育の問題です。
先天的な問題ですが、みんなが大手を振って賛成するような企画があるとき、その承認は大体消費者視点ではなく、その「みんな」が共通してもっている何かに基づいてなされています。社内の積年の課題であったり、偉い人への忖度だったり、あるいは感情的なエンパシーだったり。あの人は頑張っているから、これまで苦労してきたから、などという感情は禁じ得ませんし、非常に共有されやすい。プレゼンテーションが上手な人が、みんなをうまく乗せてしまう、ということもよくあります。
後天的な問題は、その企画が具体化し、世に出るまでのプロセスの話です。全会一致で採択されているわけですから、スムースに勢いよく進むのはいいのですが、反対意見がないぶん、制作のプロセスで企画が研鑽されません。意見の対立から新しい価値が生まれる、弁証法も機能しません。見落としていた視点が発見されにくく、また早く実現せよ、というプレッシャーからチェックも甘くなりがちです。
これらのことから、この企画が実際に世に出たときには、いわばスポイルされたボンクラ、あるいはどこの者とも知れぬ自由人、風来坊となってしまうのです。
ここには一つの教訓と、一つの希望があります。
教訓。あなたの企画が満場一致で大絶賛された際、それはむしろ黄色信号と考えるべきです。かならず批判的な意見を述べる人を見つけ、その人をプロジェクトに入れること。そして、その反対意見を大事にすること。
そして、希望。もしあなたの渾身の企画が冷たい反応にさらされたとき、それはその企画が大成功するかもしれない、という一つのサインです。同僚や上司の塩対応にはめげず、むしろチャンスととらえて、信念をもって企画を進めるべきです。
さて、最後に。冒頭の文章はアメリカの小説家・ハーマン・メルヴィル著『白鯨』の書き出しで、田中西次郎による日本語訳「まかりいでたのはイシュマエルと申す風来坊だ」をもじったものですが、これの原文はというと、なんと非常にシンプルに”Call me Ishmael”なのです。
「風来坊」「まかりでる」って英語でなんて言うの?日本語でもよく意味わからないんだけど、と思って恐る恐る原文を見ると、こっちの方が簡単じゃねーか!となるパターンです。
企画の直訳はplanではありますが、これはどちらかというと「計画」です。計画とは、アクションを時系列に並べたもの、といったところでしょうか。それでは実際のところ「企画」をどう訳すかというと、ideaだったり、project proposalだったり、initiativeだったり、measureだったり、段階や性質によってそれぞれ違う言葉が使われます。どうも日本語は、曖昧で高尚に響く表現で人を煙に巻くのが得意なようです。
企画といってもそれがアイデアを示しているのか、計画なのか戦略なのか一つのアクションなのか。それが曖昧なのは日本語の課題ですが、本稿ではアジェンダ提起にとどめ、それを論ずるのはまた別の機会に譲りましょう。これまで本稿で論じてきたのは、その意味でいうと全て「アイデア」の話です。