【前回コラム】24年前の電通はこんなところだった(ゲスト:田中泰延)【中編】」はこちら
今回の登場人物紹介
※本記事は8月12日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。
入社試験の履歴書には「トラック運転手。元気です」と書いた
権八:この番組は広告業界に行きたい学生の子も結構聞いてるらしいんですよ。
田中:なんと、申し訳ございません(笑)。
権八:泰延さんは糸井重里さんの話などがあって、ものを書くことを自覚されたと思うんですけど、若い頃はそういう自覚は全くなかったんですか?
田中:全くないですね。就職のときの履歴書があるじゃないですか。今でいうエントリーシートには「トラック運転手やってます」とだけ書いて。本当にそれしかわからないから、「元気です」と。
一同:(笑)
田中:電通の採用の人が「トラック運転手なのか。元気なのか。これはいいな」と。自分の知ってることを話すしかないので、
「4年間運転していて、4トンのアルミなんですけど、空荷のときはすごい速いんですよ。みなさん、何乗っておられますか? え、ファミリア? ファミリアより速いです。空荷のトラックをナメちゃダメです。それとトラックの運転はコツがいるんですよ。フットブレーキってありますよね。でも、それだけじゃトラックは停まらない。左手でシフトダウンしながら排気ブレーキをシューッと引くと、排気の力で車が止まる。これが楽しいんですよ。ものすごい制動力なんです」という話をしたら、「トラックの運転、面白そうだな」と。
そしたら、採用の人が「俺、トラックの運転してみようかな」と言い出すんですよ。でも、ちょっと考えて、「いや待て。なんで俺がトラックの運転するんだ。お前がこの会社で働け」と。こうなったらもう採用ですよね。
中村:あー、そういう人、採用するかもしれないですね。
田中:トントンと決まって、入ったときは営業志望だったんです。僕の営業のイメージは朝ボードに「直行」と書いて、パチンコ屋に行って、会社に電話して、今日直帰ですと。NRとなって、何も仕事しないで、パチンコをして家へ帰れるはずだと。入ってみたら、電通の営業は全然そんなことなくて、激務とわかったんですよ。
中村:そうですよね。
田中:どこかの企業に張り付いてね。入社して大きな自動車会社の担当になったら、定年までその会社の担当として広告つくり続ける電通マンいっぱいいますからね。あれ、ビックリですよね。なんでその会社に入らなかったんだろうと。
一同:(笑)
田中:僕のときは研修が長かったんですよ。3カ月も研修期間があって。そのときに岡康道さんや佐藤雅彦さんの講演、先輩の澤本嘉光というえらい人の実習授業など、いろいろあって。あとホイチョイの馬場さんが講義に来たり。3カ月後に「キミはクリエーティブ」って振り分けられたんで、パチンコの夢は途絶えたなと。
権八:いろいろ謙遜されて話してますけど。
田中:全く謙遜じゃないんですよ、これが(笑)。
権八:でも、世の中の人から見ると、泰延さんは文章を書かれて、それがめちゃくちゃ面白くて、僕も含めて多くの人が大ファンで面白いとハッピーになれて。泰延さんを見て、エレファントカシマシの宮本浩次さんがブランク明けに「最近やっと気付いた。世の中には色んな係の人がいる、と。農家で農作物をつくる係の人がいたりして、自分は歌をうたう係なんだ。そういうことがやっとわかりました」というようなことを言っているインタビューがあって、かっこいいなあ、と思った記憶を思い出しました。
田中:エレファントカシマシの宮本さんは本当にかっこいいですよね。僕は大阪に配属されて、入社3年目のときに宮本さんとお仕事をさせてもらったんですよ。『悲しみの果て』という名曲があって、「グリコアーモンドチョコレートの曲に使わせてください」と言ったら、既にシングルカットされてる曲だけど、「俺この曲好きだから、もう1回レコーディングして、もう1回シングルカットするわ」となって。
コンサートも招待してもらって、1年間ずっと行くようになって。僕はプレゼン終わりで、コンサートにスーツを着て行ったんですよね。楽屋で「サインください」と言ったら、「どこに?」「手帳に」「手帳じゃダメだろ」と言われて。「じゃあ、ここに書いてやるよ」と、白いワイシャツの背中にでっかくマジックで書かれて。二度と着れないじゃないですか。だから、その日以来、背広着てないですね。
一同:(笑)