代理店の「代弁する仕事」が苦手だった
権八:泰延さんは文章で世の中に対してやっていくと、あるとき決意というか、覚悟されたのかなと。
田中:もうちょっとお金になると、もっと覚悟でるんですけどね(笑)。ただ、これしかできないというわりと絶望感ですよね。人に「お前の書いてるやつ読んだよ」と言われるのは最低の仕事ですよね。漁業、農業、医者、自衛官、消防士、道路工事、電車の運転、世の中に絶対に必要なものから最も遠いじゃないですか。
極端な話、獄中で死刑囚でも書いてますよね。それが本になって、出版されて、「読んだよ」と言ってもらえる報酬は、人間の最後の報酬じゃないかと。行き止まり感ですよね。47歳にもなると、「電通のクリエーティブの中でお前どんな仕事してきたか」と。ふつう、指導的立場になる、さらにもっと面白いこと考えるなど、役割を与えられるじゃないですか。
でも、バウバウ24年やってるとね、本当に役割はないんですよね。
一同:(笑)
権八:でも、これだけ面白い文章を書くから、泰延さんは広告も本当はできたんじゃないかなと思うんです。文章の中にもいろいろなキャラクターがあるじゃないですか。僕らが広告の映像をつくるときはいろいろなキャラクターを登場人物に振り分けたりするので。泰延さんの文章には哀愁とかギャグ、ユーモアもあるわけで、そういうことを広告の中にふんだんに盛り込もうとは思わなかったんですか?
田中:辞めた原因の1つでもあると思うんですけど、広告の仕事はどこまでいっても、何かを代弁する。当たり前ですよね、代理店だから。
澤本:そうですね。
田中:僕は代弁するのが苦手だったんですね。今も広告に関わりたいと思うことがあるんですけど、その場合はあっちこっちで呼ばれてプレゼンするんじゃなくて、どこか1社に入っちゃって。たとえば、うちは木彫りのイスしかつくれない会社ですと。これをインサイダー、ステークホルダーとして広告をつくり続けるというのはあるかもしれない。
澤本:なるほど。自分のためにということですね。
田中:それなら自分の人生と広告を対照させていって、少しは語れるかもしれないという気持ちはあるんですけど、広告の仕事は、あるときはチョコレート、来週は車、来月は携帯電話と、そのたびに切り替えるのがめちゃくちゃ大変ですよね。それができなかったんです。