デジタルに夢のような「ユニコーン」は存在しない
このことは、デジタルは「サイバー空間」と言われようと、旧来の現実世界・メディアの世界と無縁ではないということを教えてくれます。
逆に言えば、「デジタルだから何でも許されるという世界」ではなく、ようやくデジタルの世界でビューアビリティやブランドセーフティの課題が語られるようになったのは、そのような認識の表れではないかと思います。
P&Gのブランド責任者であるマイクプリチャードが、改めてデジタルメディアの効用と透明性について疑問を投げかけ、デジタル広告費を削減しました。これは従来から存在していた、メディアの効果測定といったような狭い話ではありません。
デジタル広告の世界では、テクノロジーが主導するダイナミズムにおいて、正確性を欠く部分が存在しうることと、現実世界の人間との関わりにおいて明確な接点が見えていなかったことを指摘したということです。
言わば、デジタルの世界は、限界の無い外部世界における夢のような存在を捜すことが珠玉であり、その一部として垣間みえていたユニコーンの角が、実際は「美しい想像の姿とは似ても似つかない海洋生物のイッカクの角」に過ぎなかったということです。
例えば、フェイクニュースが問題になるのは、テクノロジーを通して簡単に間違った情報が拡散してしまう「欲望の鏡」として、デジタルメディアが購買を煽るように機能してしまうからです。
また、ソーシャルメディアのように同じ嗜好性を持った人たちを集めやすいデジタルコミュニティの力が、政治的なヘイトスピーチを助長するのも、道具として優れているからこそ起こりうる問題です。
このような騒ぎは、ますます混迷を極めつつあります。
今まで、デジタルメディアが民主化と表現の自由を代表するツールとして謳歌していた公平性が、逆に参加する人びとを扇動したり、非難したりする手段として働いているのです。
インターネットが誰でも情報を発信できる、オープンでアクセス可能なユートピアではなく、誰もが高いリテラシーを持たなければ、便利な情報世界が危険なスラムになっていくということです。
その意味でデジタルメディアの進化の方向は、オープンでグローバルな空間であるよりは、より分断されコントロールされるようになり、現実の世界と同様にアイデンティティを求められていくでしょう。
インターネットが分断を加速させていることは、すでにフェイクニュースサイトが政治や金儲けに利用され、デマがデマを好むエコーチェンバー現象をつくり出しているだけではありません。中国やロシアのように国ごとインターネットのアクセスを制限し、閉じた社会インフラとして機能し始めるように、人間の社会問題そのものが忠実に反映されていくのです。
インターネットはディストピアをつくり出すか
インターネットは今後、ますます変化していくことでしょう。
それは、いい意味でも悪い意味でも、現実社会のルールを明確に反映したものに変わっていくはずです。テクノロジーが現実の世界の一部になっていくのであって、それを真摯に捉えるべきだと思います。
それは、テクノロジーが世界と人間を変えていくという意味でもあり、もう一方では、世界がテクノロジーを通じて、社会の良い部分と悪い部分を学習していく過程の一部と言えるでしょう。
ケヴィン・ケリー氏が言うように、「ディストピアは長続きしない」はずであり、未来は絶え間ない変化の中でつくり出されるものなのです。