かつては放送局で土下座をしている広報がいた
最近、ボクはテレビ番組が買えるという常識を取り除きたいので、「そんなことは交渉の余地はない」「無理」「そんな慣習はないですよ」と伝えている。
広報の役割は情報を伝えることである。とボクは思う。「メディアが興味を持つと想像される情報」を提案するのが仕事だ。その連続だと思う。釣りと一緒だ。餌を変えながら食いつくまで頑張るのだ。
今から20年以上前、放送局の制作現場で土下座をしていた広報もいた。「お願いします。取材されないと社長に怒られるんです」という場面を見たことがある。その時ボクは思った。「お願いされてもなあ」と。恋愛も一緒だ。「お願い」されて交際が始まったり結婚したりするバカはいない。「結婚しないと親に怒られるんです」と土下座しても結婚してはしてもらえないだろう。きっと。
広報もそんなニュアンスと一緒だ。「金払うから交際してくれ」「金払うから結婚してくれ」というのは現代社会においておかしい。歴史的に見れば、政略結婚や経済的背景を目的にした結婚はないわけではない。だが、今は21世紀だ。
広報も一緒だ。お金で買える時代はとっくに終わった。その昔は結構あったことは事実だ。その名残が今も伝説として残っているのだろう。
報道番組や情報番組は買えない。少なくともボクはそう思っている。
1億円で無理なら3億円で!……頼むからそんなことは言わないでほしい。金額の問題ではない。広報は、メディアに金を払うのが仕事ではない。情報を提供するのが仕事だ。
この国はまだまだ、本当に広報発展途上国である。