オープンイノベーションを受け入れられるか?
さて、この理想的とも思えるクリエイターのエコシステムは、どんな土壌から生まれてきたのでしょうか。
ハンスさんは次のように説明してくれました。
「そもそもオランダは国土が小さく、人口も日本と比べると非常に小さい。つまり小国なんですが、それがわかっていたので、もともと『すべてを自分たちではできない』という考えがありました。オランダの企業があれもこれも、というようにすべてをできるわけではないのです。ということがあったので、外国から人を受け入れる、雇う。するとやっぱり、彼らの持っているネットワークは、オランダ人の持っているネットワークと違うということに気づきます。オランダ人だけでは、シリコンバレーに入っていくのは容易ではないと思いますが、もしシリコンバレーから人を受け入れていれば、逆に彼らのネットワークを使ってシリコンバレーに入っていくのは容易になります」。
確かに、自分自身もかなりオランダクリエイティブ界に受け入れてもらっている感じがします。
「オランダは、こうした考え方を昔から持っていました。今風に言えば、オープンイノベーションです。違いを受け入れると、違ったアイデアが生まれます。それらが触媒になり、さらに新しいものが生まれるかもしれません。こうしたことを小国であるがゆえに、元々していたのがオランダです。
日本では2013年くらいから、こうしたオープンイノベーションという考え方を受け入れるようになったのではないでしょうか。
実は、ハンスさんは在日オランダ大使館に8年間滞在経験があり、ジュリアンさんも8年間大阪の領事館に勤務していたので、流暢な日本語も話し、日本の事情も非常によく知るお2人なのです。
ハンスさんご指摘の通り、オープンイノベーション的マインドは、昨今のクリエイターには絶対に必要です。世の中が多様に進化して、得意先の課題も複雑になっている今、「俺はCMしかやらないから」「俺はコピーしか書かないから」と言ってる場合ではないですよね? そもそもクリエイターの醍醐味は、手段は問わず「クライアントの課題を解決すること」に尽きるかと思うからです。
ですから常に新しいもの、異質なもの、今までになかったものなどを受け入れながら、自分の中で新しい解決策を生み出していくというまさにオープンイノベーション的なマインドが最も必要となるのです。
歴史的にオープンイノベーション(という言葉は使っていないとしても)だった都市がアムステルダム。そりゃあ、クリエイティブシティとしての年季が違うわけです。
つい先日、多くの市民に愛されていたアムステルダム市長が闘病の末、亡くなりました。現代のアムステルダムの勢いを生み出し、2016年度のヨーロッパのイノベーションシティの第1位になったのは、亡くなったエベルハルド・ファン・デル・ラーン市長のおかげであったかもしれません。
ご冥福をお祈りするとともに、クリエイティブシティ アムステルダムのさらなる発展を祈願したいと思います。
ということで、チャレンジを受け入れる舞台は整っています。日本のクリエイターのみなさん、お待ちしております!
<著者プロフィール>
吉田和充(Creative Business Development/Branding Designer/Creative Director/保育士)
1972年東京生まれ。1997年慶應義塾大学卒業後、博報堂入社。CMプランナー/ディレクターとして、40社、400本以上のCM制作を担当。ACCグランプリ、コピー賞などを獲得。
在職中に1年間の育児休暇を取得し、家族でアジア放浪へ。2016年、子どものクリエイティブな教育環境を重視してオランダへ移住。2017年現在、Neuromagic Amsterdam BV CEO、個人事務所SODACHI CEO、STYLA TOKYO クリエイティブディレクター。広報広告全般からマーケティング、企業の成長戦略策定、ブランディング、新規事業立ち上げ、新商品開発、Web制作、サービスデザイン、海外進出などクリエイティブ業務全般を担当。
アムステルダム市との協働プロジェクトとして、アムステルダム市の「粗大ゴミの処理問題」にも取り組む。
元サラリーマンクリエイターの海外子育てブログ『おとなになったらよんでほしい|おとよん』連載中。