誤植は仕方ない
—今回の『編集会議』2017年最新号では「誤植」をテーマとする特集を組んでいます。編集者にとってある意味でバイブルとも言える『誤植読本』は、どのようなきかっけで出版されたんですか。
もともと編集者時代に、誤植にまつわる苦い経験がたくさんあったんです。長年にわたって編集の仕事をしてきましたが、構成能力はちっとも上達しないんですよ。
ただでさえ校正能力に対するコンプレックスがあるのに、歳とともにさらに集中力や注意力に低下していく。これはもう、なかなか困ったものです。
僕は古本漁りが趣味で昔からよく古本屋をめぐっているんですが、そこでたまに誤植にまつわるエセッイに出合うんです。それがすごく面白くてですね。
変種うの仕事をしている人であれば、僕みたいに誤植にまつわる苦い経験をしている人も少なくないだろうということで、それらのエッセイを集めてまとめたのが『誤植読本』なんです。
『誤字読本』でも最初に単行本で出したものには、いくつか誤植がありました(笑)。でも増補版(文庫)ではほとんどなかったんじゃないかと思います。僕が出した本のなかでは最も売れていて、おかげさまでロングセラーになっています。
—高橋さんご自身の誤植というのは、どのようなものだったんですか。
誤植の初体験は、出版社に入社して早々のことでした。僕が務めていた出版社には校閲の部門がなくて、全部一人で校正・校閲をして校了していたんです。
当時はじめて担当したのが、ドイツ語に関する本でした。ドイツ語は全然わからないのですが、ドイツ語らしきもので書かれている文字を1字ずつ一生懸命校正し、おそらく本文には大きな誤食はなかったと思います。
ところが、剃り上がった書籍を見ると、奥付の発行日で「●年●月●日発行」とすべきところが「●年●年●日発行」となっている。
本文は最低3~4回校正を重ねるんですが、それでホとしてしまうのか、終盤に目を通すことになる目次やトビラ、奥付などで気を抜いてしまうことが多いんです。本文でエネルギーを使い果たしてしまっているんでしょうね。
でも困ったことに、目次やトビラ、奥付といった力尽きた後の祭りに校正するページほど、読者の目に付きやすいんですよね。
他人の誤植を指摘した記事で誤植
それから、過去に古本に関しての地味な雑文集を数冊出しているんですが、その一冊に『関西古本探検』という本があります。これががですね、誤植のオンパレードになってしまいまして……。
「校正にまつわる著者のいらだち」と題する一文を僕が書いたんですが、冒頭で「最近読んだあるエッセイ集の中に、少々気になる誤植を見っけた。筑摩書房創業者、古田晃氏の名前が吉田晃氏となっていたからだ」と指摘をしたんです。
だけれども、古田晃氏は、正しくは古田晁氏なんですね。人様の誤植をさも得意げに指摘しておきながら、、自分でも誤植をしてしまったという……。
言い訳してもダメなんですが、これについては間違いやすい感じなので、他の本でも同じように古田晃氏としてしまっている人を何度か見かけました。「ああ、この人も間違ってしまっているな」と密かに慰められています(笑)。
ただ『関西古本探検』ではこれだけでなく、他にもの誤植をしてしまっていたんですね。刷り上がってから指摘されて気づいたんですが、念残ながら増刷もされなかったので、そのままです。もうね、穴があったら入りたかったですよ。
自分の本を読み返していると、どの本もやっぱり誤植が出てくる。とくに人命を間違えてしまっていることにどんどん気づいてしまうから困ったものです。
やっぱりどなたかの名前を間違えるのは非常に忸怩たるものがありますし、読み反すほどにがっくりくるという(笑)。
でもですね、不思議なもので、自分の犯した誤植は何℃も読み返さないと気づかないのですが、他の方の著作だと、わりと敏感に気づくんですよ。
……続きや正しい表記の記事は『編集会議』2017年最新号の「誤植」特集をご覧ください。