去る9月23日、「宣伝会議賞」の応募者応援イベントを金沢21世紀美術館で開催しました。最終審査員を務める中村禎さんと、協賛企業賞受賞歴を持つ若手コピーライターの小林幹さんによるトークを通じて、「宣伝会議賞」審査通過・受賞に近づくためのポイントを探りました。
登壇者
中村 禎 (なかむら・ただし)
フリーエージェント コピーライター、クリエーティブディレクター
1957年生まれ。JWトンプソン、サン・アド、電通を経て2016年フリーエージェントとして独立。1982年にTCC最高新人賞を受賞。2001年にKDDIの合併企業広告でTCCグランプリを受賞。2004年に阪神タイガース・星野監督の優勝感謝広告のコピーでTCC賞を受賞。主な仕事に、とらばーゆ「プロの男女は差別されない」、KDDI「つまんない広告をする企業は、ほぼ、つまんない」、星野仙一「あ~しんどかった(笑)」、資生堂「夕方の私は何歳に見えているだろう」ほか多数。著書に『最も伝わる言葉を選び抜く コピーライターの思考法』(宣伝会議刊)がある。
小林 幹 (こばやし・みき)
電通西日本 金沢支社 北陸CD部 コピーライター、CMプランナー
2006年、電通西日本入社。広島支社、高松支社を経て、2016年秋より金沢支社を拠点に北陸エリアを担当。主な仕事に、ACジャパン中四国キャンペーン「ワシらピカピカ世代」、大谷製鉄、稲置学園、JF石川など。受賞歴は、TCC新人賞、TCC賞ファイナリスト、HCC賞特別賞(仲畑貴志氏)、HCC賞など。
発見を素直にコピーにする
小林:僕は4〜5年前まで、「宣伝会議賞」に応募し続けていました。まずは僕の自己紹介から始めたいと思います。
「宣伝会議賞」に初めて挑戦したのは2003年のこと。当時の僕は27歳、フリーターでした。とりあえず手探りで50本ほど書いて応募しました。一次審査は1本しか通過できなかったんですが、コピーを考えている2カ月ほどの期間がすごく楽くて。そうして本格的にコピーを学びたいと思い、翌2004年4月からコピーライター養成講座 総合コースを受講、その後、禎さんが講師を務める専門コースを受講しました。それと同時期に、東京アドデザイナースという広告制作会社に入社しました。
「宣伝会議賞」には、2013年くらいまでの約10年間、応募し続けました。応募を始めて4年目の2006年には協賛企業賞を受賞、ほかにも3次審査通過やファイナリスト選出まで食い込むことは何度かありましたが、グランプリは獲れずじまいでした。
2006年に東京を離れ、電通西日本に転職。広島、高松と勤務地が変わり、金沢には昨年転勤してきました。そして40歳を迎えた今年、TCC新人賞をいただくことができました。
そんな僕が、どんなコピーを書いてきたかをご紹介します。
まず、2003年に初めて「宣伝会議賞」に応募して、50本中1本だけ一次審査を通過したコピーはこちらです。
火をともすだけが爪じゃない。
(2003年/宝くじスクラッチ)
当時は正直、「あ、なんか上手いこと言えた。もしかしたらこれ、グランプリかも」って思ったんですけど(笑)。とは言え、もしこのコピーが一次審査を通過していなかったら、コピーに興味を持つことも、講座に通うことも、コピーライターを目指すこともなかったかもしれないので、僕の人生を変えることになった思い入れのある一本ですね。
そして、2006年に協賛企業賞を受賞したコピーはこちら。
広告業界はあまり広告されない。
(2006年/マスメディアン)
当時、僕もまさに転職を考えていたのですが、広告業界の求人情報ってなかなか出会えない。知らない間に募集が始まり、知らない間に終わっていたり…。そんな中でポロっと出た本音を書いたものです。奇をてらわず、素直に書いたのがよかったのかも。そういう「いいコピー」の感覚を、徐々に自分でも掴み始めるきっかけになったコピーです。
そして今年、TCC新人賞をいただいたコピーがこちら。
先輩の背中を見て学ぶ。そんなヒマがあったらすぐに訊け。(大谷製鉄)
富山にある大谷製鉄の、合同企業説明会の出展ブースに貼るポスターをつくりました。予備知識がほとんどない状態だったので、クライアントの「こういうことはうちの中で当たり前だけどねー」みたいな言葉の中に、僕が「そうなんだ、すごいなあ、面白いなあ」と思えることがたくさんあった。そんな発見をコピーにしました。
中村:クライアントは、自分たちのいいところに意外と気づいてない。それを見つけるのがコピーライターの役割なんだよね。