他の人がしていない戦い方で勝負する
—そんな中、お2人にとっての「転機」とは?村田さんは「希望期」に入るんですね。
村田:僕みたいにお調子がよくて、おしゃべり野郎で人懐っこいと、「オマエは営業向きだ」と言われるんですよ。このまま東京にいたら営業行きは時間の問題だと(笑)、正直少しは逃げるように九州に行ったところもありますね。そこで作ったCMが話題になったり、受賞したりして、CMプランナーとしてやっていけるのではないかと希望が見えてきた時期です。
栗林:九州では最初から当てていたんですか?
村田:いえ、全然。最初の仕事は満足のいくものではなかったんですけど、九州の仕事は制作費が東京の10 分の1程度なので、企画だけでなくディレクターもやりました。ここで寿ビデオの経験が生きたかもしれない(笑)。その数年後にやはりディレクターもやったのが英進館の「歩く男」篇です。
栗林:初めて見たとき衝撃を受けました。どこから着想したんですか?
村田:企画をいつも1行で考えます。このCMは「エッジが効いている塾の講師」「試験直前に勉強しなきゃいけないのに漫画を読む」などまぁ、面白くもないものも含めて50~100個書き出して、プレゼンの直前に見返して、赤ペンで面白いものは○、まあるかもな、というものは△とつけていくんです。
栗林:企画のやり方、完全に同じです(笑)。僕の2期は「ディグ期」。このままでは何者にもなれない、ならば「ソーシャル×オタク」に特化しようとアニメを見まくっていました。おかげで若者文化に強い奴だと思われるようになって。クラフト力やコピー力で優秀な人は周りにたくさんいたので、自分はその人たちにないものを伸ばしました。ここで企画力やソーシャル力、デジタルマーケティング力がぱっと上がったと思います。この頃は「女子高生」が話題になりやすいと思って、出すすべての企画に女子高生を入れていましたね(笑)。
村田:サントリーの「忍者女子高生」動画がその頃の仕事ですね。
栗林:はい。この動画は、企画のコアとなる部分は他の方に考案いただいたのですが、海外で話題になる「忍者」「凄技」などの要素を入れたり、リアルなのかCGなのかで議論を起こすなど、話題になる可能性がある要素を可能な限り入れ込み、成功につながった事例です。当時、「バズ」はまだ広告業界が積極的に踏み込んでいない領域だと思って、死に物狂いでバズ動画の分析を始めて、精度が向上していきました。